2016年からは、天皇の生前譲位の意向を受けての、新元号制定の話が広がりっていった。その法的根拠だとされる元号法には、こうある。
「1、元号は、政令で定める。
2、元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附則
1、この法律は、公布の日から施行する。
2、昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。」
(法律第43号(1979年6月12日))
では、これまでどんなやりとりが為されてきたのだろうか。顧みるに、この元号法制化の時には、幾つかの論点が出された。具体的には、敗戦から30年余りが過ぎた1979年2月、皇位継承があった場合に改元すると定めた元号法案が、政府(大平正芳首相)により国会に提出された。
(2)法制化後の元号の扱い。政府・与党:「一般国民に元号の使用を義務づけているわけではない。」/社会・共産党:「事実上の強制が行われようとしている。」
(3)一世一元制について。政府・与党:「象徴天皇と国民とを結ぶ深いきずなとしてふさわしい。」/社会・共産党:「絶対主義的天皇制の専制支配を支える役割を果たしてきた。」
(4)元号は文化か。政府・与党:「わたしたちの日常生活に根をおろしている尤も身近な国民文化。」/社会・共産党:「法制化しなければ存続し得ないものは、受け継ぐべき文化の名に値しない。」
(5)憲法との関係。政府・与党:「憲法は象徴天皇制を定めており、憲法違反は生じる余地がない。」/社会・共産党:「憲法の国民主権の清新に反する。」」
これらの5項目の論点の他にも、「西暦で充分」とか、「日本でだけしか通用しない元号では、西暦との換算が大変」、「元号は天皇の一代限りであるこので、元号間の通算でもわかりづらい」、さらに「国際化時代において元号に拘るのはわからない」など、多様な意見が国民から出されていた。
一方、新聞紙上では、国民からの意見がチラホラながら散見される、その中から、一つ紹介しよう。
「天皇陛下の退位を巡り、新元号に関する議論が進んでいる、2019年1月1日付で新元号にする案もあるようだ。
しかし、私はあえて言いたい。国民生活への影響を最小限に抑えるというのなら、いっそ元号を廃止すべきだ。そして今後は西暦一本でいけば、国民の利便性は確実に高まると思う。
現在は、元号と西暦が併用され、特に役所関係の書類は、元号しか書かれていないことが多い。ケースに応じて西暦を元号に換算したり、その逆をしたりすることが、どれほど面倒か。元号を廃止した場合、どれほどの不便があるのか、私にはわからない。
そもそも、もうわが国は天皇主権の国ではない。国民主権となって70年が経つ。天皇が代替わりしたら元号を変えるという制度は時代錯誤もはなはだしく、民主主義にもそぐわない。
国民生活を不便にする上、日本はあたかも天皇が治める国であるかのような錯覚を生じさせる元号は、この機に根拠となる元号法とともに廃止する勇断をすべきだと思う。みなさんの意見を知りたい。」(2017年1月18日つ付け朝日新聞、『声』欄、H氏)
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「第1条 国旗は、日章旗とする。
第2条 国歌は、君が代とする。
附則、施行期日の指定、商船規則(明治3年太政官布告第57号)の廃止、商船規則による旧形式の日章旗の経過措置。
別記 日章旗の具体的な形状、君が代の歌詞・楽曲。」
まず、国旗というのは、平たくいうと「日の丸」であって、歴史に登場するのは、平安時代末期からのようだ。大方、武士の掲げる扇子や絵巻物に描かれるケースが指摘される。戦国時代に入ると、多くの大名や国衆などが、扇子や旗、さらに豊臣秀吉は朝鮮戦役のおり、自軍の船印に用いたりもしている。
そして迎えた江戸時代末期の安政元年、島津斉彬が「日本船と外国船とを区別するため、船印を定めては、どうか」と提案したのに、幕府において、日の丸を採用したことになっている。それからは、明治維新となって(正確には、戊辰戦争の時)、新政府が、いわゆる「錦の御旗(菊の紋章」を掲げて、幕府方を威圧するのに用いたのは、まだ記憶に新しい。かくて幕府を滅ぼした明治政府が、日の丸を国旗に定めるのは、1870年(明治3年)のことである。
それから、日の丸の持つ意味合いについては、要は太陽によって命を吹き込まれている国という理屈であろうか。デザインや単なる配置のことではない。大まかな輪郭として、この国の太陽との関わりの一断面を切り取って図案化したものだと考えており、当たらずとも、遠からずの理解としてよいだろう。
もう一つの国歌を巡っては、平安時代の頃から、「君が代」の言葉は貴族を中心に散見されるものの、それの国家とのかかわり合いとなると、出元からして、本当のことはよくわかっていない。中には、近代になってからの軍楽と絡めて問い質すことにもなっているようだ、
議論としては、賛否両論がある。このうち、戦後、純粋な音楽論を展開してきたのは、多くは反対論の側であって、以下にその一つを紹介してみよう。
「よい楽曲は、言葉(歌詞)とメロディーがよく合っていて、自然に聞こえなければなりません。海が膿(うみ)になっては困ります。これを歌うと、君が代は、でなくてどうしても君がぁ用は、と聞こえます。それに音楽的フレーズが、千代に八千代にさざれ、で切れて、さざれ石という言葉が、さざれ、と石、と真中で割れてしまうように、歌われやすいのです。最後の所、こけのむすまで、が、むうすうまああで、と無理な引き伸ばしが、さらにこの曲を不自然なものにしています。
ここに述べられるのは、楽曲としての『君が代』には、「歌詞の長さとメロディーの長さが全くつりあわず、メロディーに較べて歌詞が身近すぎる」という、作曲の上での問題が認められる、だから、「君が代」は歌としていい歌ではないことになっている。要するに、日本伝統の音楽というのは自然に歌え、かつ意味が通じるものなのであって、「君が代」が日本伝統の音楽であるというのは間違いだ、というのである。
その一方で、『君が代』の歌詞は、雅楽朝のメロディーであってこそ冴(さ)え冴えとする、という擁護論がある。また、既に長いことこの歌を耳にし、時には歌っている向きにあっては、「親しみが感じられる」「馴染みがある」との声も根強くあることだろう。
およそこのようにして論じればかなりの盛り上がりが期待されたと考える。ところが、制定の手続きからも禍根を残した、といえなくもなかろう。
同法は、1999年8月9日の参議院本会議において賛成多数で成立して、8月13日に公布・施行されたのだが、その成立までにあてがわれた時間はわずか2か月に過ぎなかった。
こうした短兵急な審議・可決のあり方に対しては、「なぜいま、そんなに息せき切るようにして制定を急がねばならないのか、審議を尽くすべきだ」との声が上がったものの、政府側は耳を貸さないままに採決に持ち込んだの形なのである。
(続く)
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