アレクサンドリアとは、アレクサンドロス大王が命令して建てさせたたギリシア風の都市だ。前331年ナイル川の河口に建設される。その後、アレクサンドロス大王の武将であったプトレマイオスが建国したエジプト・プトレマイオス朝の首都となる。
現時点において、市域の一部であったところがその後の地殻変動なりで海面下になってしまっているか、かつては、碁盤状の通りをもった市部と、約1200mの突堤 (とってい) で結ばれた前面のファロス島からなっていたという。
当時のアレクサンドリアの中心部には、王宮・セラピス神殿・ムセイオンとその付属図書館が立ち並んでいて、そしてファロス島の東端には、一説には、高さ160mの大灯台があったことが知れている。
多くの著名な学者を輩出していたこととの絡みでいうと、かかる図書館には、数十万巻もの本が収められていたとも言われる。ユークリッドの「原論」の内容をまとめたエウクレイデス(前300頃)や、今日「アルキメデスの原理」で有名なアルキメデス(前287~212)は、直角円錐の切り口によってできる図形の面積などについても研究していた。当時は、図形は直線と円とで構成されているという考えが強かったらしい。
その研究を受け継いだのがアポロニオスであって、彼は円錐を平面で切った切り口の研究を進める。一つの円錐を切る平面の傾きに応じてその切り口の形が変わることに目をつける。その場合において、平面と円錐の軸とのあいだの角の大きさが、円錐の軸と母線とのあいだの角よりも大きいか、等しいか、小さいかによって、エリップス、パラボラ、バイパボラと名付ける。
これらのうちのエリップス(楕円)については、特別の場合としての円を包括するというか、これら3つの曲線は、円錐を切る平面の角度を変えることによって現れる一連の姿、いわば「円の兄弟」ともいわれている。
またパラボラについては、それから約1800年も経過しての、イタリアの科学者ガリレオが、「天文学対話」(1632)の発刊して世の中を惑わしたことを咎められ禁固(きんこ)に処せられた後の「新科学対話」(1638)において、こう述べている。
アレクサンドリアのその後のありようだが、ローマ時代には哲学者・神学者が現れるなど、いぜん活気があったものの、ローマ帝国の衰亡とともに7世紀半ばアラビア人に占領されてから衰えていく。
逆に、電波を送信するには、焦点に当たる一点から電波を出して平行にし、各家庭のアンテナに電波を送り出すことにより、電波を効率よく送受信できる、平行でないといろいろな方向に信号が拡散してしまうから)。
(続く)
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