118の2『自然と人間の歴史・世界篇』旧約聖書から新訳聖書へ
ところで、旧約聖書というのは、キリストの出現より前、もう少しいうと、予言者モーセを通して唯一神ヤハウェとの間の契約で結ばれた「旧い契約」をいう。ここでいう予言者モーセのイメージは取っつきにくい方もおられようが、さしあたり、映画「ベンハー」で白衣を着て、杖をついている老人とかを参照ありたい。
その主なる構成については、古い時代からより新しい時代へのうつりかわりの中で、五書(創世記から申命記)、歴史篇(ヨショア記からエスエル記)、それに詩歌あるいは文学書籍(ヨブ記からは雑歌)を経て、預言書(イザヤ書からマラキ書)へと連なる配列となっている。
いわば、過去、現在、そして未来という時系列に沿って、預言者たちか次々と登場してきて、かかる神の偉大さを強調、これにより滞ることのない救済の歴史を描いて見せる。それはまた、「新しい契約」を人々に告げるとともに、かかる「新しい契約者」としてのイエス・キリストの登場と契約の成就(じようじゅ)が、新訳聖書において示されていくのである。
ところで、旧約聖書というのは、キリストの出現より前、もう少しいうと、予言者モーセを通して唯一神ヤハウェとの間の契約で結ばれた「旧い契約」をいう。ここでいう予言者モーセのイメージは取っつきにくい方もおられようが、さしあたり、映画「ベンハー」で白衣を着て、杖をついている老人とかを参照ありたい。
その主なる構成については、古い時代からより新しい時代へのうつりかわりの中で、五書(創世記から申命記)、歴史篇(ヨショア記からエスエル記)、それに詩歌あるいは文学書籍(ヨブ記からは雑歌)を経て、預言書(イザヤ書からマラキ書)へと連なる配列となっている。
いわば、過去、現在、そして未来という時系列に沿って、預言者たちか次々と登場してきて、かかる神の偉大さを強調、これにより滞ることのない救済の歴史を描いて見せる。それはまた、「新しい契約」を人々に告げるとともに、かかる「新しい契約者」としてのイエス・キリストの登場と契約の成就(じようじゅ)が、新訳聖書において示されていくのである。
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それではまず、旧約聖書は、どのようにして作られたのだろうか。ちなみに、現代の標準的な解説では、例えば、こうなっている。
「アッシリア帝国なくしては、旧約聖書はけっして存在しなかったであろう。前9世紀から前7世紀末までレバント地方を支配していたアッシリア人たちは、イスラエル王国とユダ王国を属国とし、722年にイスラエル王国の滅亡を招いた。しかし彼らは、ユダ王国の設立文書を執筆するためのモデルを、はからずも王国の知識人にもたらした。
ユダ王国の設立文書は、アッシリア文書のレトリックや思考様式から大いに着想を得ている。たとえば、申命記はアッシリアの宗主権(そうしゅけん)条約のような手法で書かれている。この書には、アッシリアの条約文と同じようなこうせや語彙(ごい)が見られる。しかし、申命記に、おいてイスラエルが絶対的忠誠を誓う宗主は、アッシリア王ではなくてヤハウェである。ようするに、神がアッシリア王にとってかわっているのだ。」(トーマス・レーマー著、久保田剛史「100語でわかる旧約聖書」文庫クセジュ、2021)
「アッシリア帝国なくしては、旧約聖書はけっして存在しなかったであろう。前9世紀から前7世紀末までレバント地方を支配していたアッシリア人たちは、イスラエル王国とユダ王国を属国とし、722年にイスラエル王国の滅亡を招いた。しかし彼らは、ユダ王国の設立文書を執筆するためのモデルを、はからずも王国の知識人にもたらした。
ユダ王国の設立文書は、アッシリア文書のレトリックや思考様式から大いに着想を得ている。たとえば、申命記はアッシリアの宗主権(そうしゅけん)条約のような手法で書かれている。この書には、アッシリアの条約文と同じようなこうせや語彙(ごい)が見られる。しかし、申命記に、おいてイスラエルが絶対的忠誠を誓う宗主は、アッシリア王ではなくてヤハウェである。ようするに、神がアッシリア王にとってかわっているのだ。」(トーマス・レーマー著、久保田剛史「100語でわかる旧約聖書」文庫クセジュ、2021)
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さらに天と地の創造の話に立ち入ってみると、メソポタミアては愛憎を持った神々の戦いからこの話を導くのに比べ、これと同じような考えは部分的に旧約聖書にも見られるものの、創世記の第1章は、このような見解に立っておらず、いっさいは神の言葉から生じることになっている。
しかも、この創造物語を作ったのは、名もなきユダの祭司(さいし)たちとのことで、レーマーはこう加えている。
「彼らは、前587年のエルサレム陥落後にバビロンに連行されたか、あるいは、ペルシア時代初期にバビロンから戻ってきた。これらの祭司たちは、バビロン滞在のさいにバビロニア創世神話を知った、彼らはバビロニア文明の知識や思想を借用しつつも、神は唯一であるとする自分たちの見解にしたがって修正した。しかし、この神の呼称にあたる❮エロヒム❭は複数形(「神々」)としても理解できるがゆえに、彼らは一神が多神を包摂しうることを示唆しているのである。」(前携書)
しかも、この創造物語を作ったのは、名もなきユダの祭司(さいし)たちとのことで、レーマーはこう加えている。
「彼らは、前587年のエルサレム陥落後にバビロンに連行されたか、あるいは、ペルシア時代初期にバビロンから戻ってきた。これらの祭司たちは、バビロン滞在のさいにバビロニア創世神話を知った、彼らはバビロニア文明の知識や思想を借用しつつも、神は唯一であるとする自分たちの見解にしたがって修正した。しかし、この神の呼称にあたる❮エロヒム❭は複数形(「神々」)としても理解できるがゆえに、彼らは一神が多神を包摂しうることを示唆しているのである。」(前携書)
(続く)
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