14『自然と人間の歴史・日本篇』神々の時代(列島の創造伝説)
人類のすべては、ここから始まった。というのは、遠い昔アフリカを出発したホモ・サピエンスなりの一部が東アジアに入り、やがて日本列島に移動してきてから、実に大いなる時間が経過したことだろう。
さて、日本列島では、世界四大文明のような大規模かつ組織的な人間活動は起きなかったものの、この列島・新天地でそれぞれの集団としての暮らしを立ててゆかねばならなかったのだろう。
やがて、小規模ながらも社会というものが形成されるようになると、人々の使う言葉も独特のものとして分岐し、あるいは集合を繰り返していくうちに、言語集団なるものがつくられていったことだろう。人々は、小さな共同体内での協業や分業、さらに連合体などで労働・生活の大きな枠組みのつくっていく過程では、さまざまな伝達手段、運輸手段を編みだし、実践しつつ、古代の社会というものを形成していったと考えられる。
その過程で、徐々に生まれ、形成されてきたのが、現代の諸外国でも「そういう時代のあったこと」が脈々と伝わっているところの、天地創造、国生み、天孫降臨などの言葉で言い慣わされてきた伝説、物語の数々に他ならない。ちなみに、「日本書記」には、こんな話が載っている。
「昔、天と地が、まだ分れず、陰陽の別もまだ生じなかったとき、鶏の卵の中身のように、固まっていなかった中に、ほの暗くぼんやりと何かが芽生えを含んでいた。
やがてその澄んで明らかなものは、のぼりたなびいて天となり、重く濁ったものは、下を覆い滞って大地となった。澄んで明らかなものは、一つにまとやりやすかったが、重く濁ったものが固まるのには時間がかかった。だから天がまずでき上って、大地はその後でできた。そして後から、その中に神がお生まれになった。」(宇治谷孟編集「日本書記(上)全現代語訳」講談社学術文庫、1988)
ここで興味深いのは、天地は混沌の状態から生まれたとしているのは、例えばギリシア神話と似ているようなのだが、ギリシア神話では天より対して大地が先行しているのに比べ、日本のそれでの見立てでいうと、天が地より先に成立しているかのように述べられている。
もっとも、いずれの神話においても、天地が出来たその後になって、神々が生まれたとしている。なお、列島神話としては、この他に「古事記」にも含まれている。しかしながら、こちらは、問題意識として列島の歴史を述べたものというより、狭義の神話そのものの世界観を醸し出す類いなのであろう。
🔺🔺🔺
では、この列島での発端の話はどのようであったのだろうか。これについては、大してわかっていない。乾燥地帯でのような洞窟壁画のようなものは、まだまとまって見つかっていないからである。けれども、時代がさらに大きく下って、小さいながらも諸国家が並立するようになっていくにつれ、人々の共通の意識として用いられるべくして、多様な物語が育まれていったものと想像される。
その中の多くは、今となってはたぐり寄せられない。それにしても、この列島に古代の統一国家が現れる段においては、それらをできるだけ発掘、継承、体系化する必要性が権力を司る側において発生したことだろう。その最たるものとしては、まとめた『訓紀』と称される『古事記』と『日本書記』などにおいて通覧されているところの天地創造、国生み、天孫降臨の類の話なのである、と言って差し支えあるまい。これらはむろん事実ではない、つくり話なのだが、古代の人々の世界観は、今日のわたしたちの大方のそれとは大いに異なっていた。
ちなみに、『古事記』の大まかな創世記の筋書きは、こうなっている。人間の姿をしたイザナキの神(陽神)とイザナミの神(陰神)とが結ばれて最初の夫婦となる。これが最初である。もちろん、人間の姿をしているものの、『聖書』に出てくるアダムとイブの如き人間だけではない。この夫婦は、淡路島を生み、続いて四国、隠岐島(おきのしま)、九州、壱岐(いき)、対馬、佐渡島(さどがしま)、さらには本州を産んだ。こうしてできた地上すべてを「葦原の中つ国」と呼ぶ。この話は、世界にあまたある、単独の神が自然界を造っている創造主に他ならないという類の話とは、大いに異なる。
人類のすべては、ここから始まった。というのは、遠い昔アフリカを出発したホモ・サピエンスなりの一部が東アジアに入り、やがて日本列島に移動してきてから、実に大いなる時間が経過したことだろう。
さて、日本列島では、世界四大文明のような大規模かつ組織的な人間活動は起きなかったものの、この列島・新天地でそれぞれの集団としての暮らしを立ててゆかねばならなかったのだろう。
やがて、小規模ながらも社会というものが形成されるようになると、人々の使う言葉も独特のものとして分岐し、あるいは集合を繰り返していくうちに、言語集団なるものがつくられていったことだろう。人々は、小さな共同体内での協業や分業、さらに連合体などで労働・生活の大きな枠組みのつくっていく過程では、さまざまな伝達手段、運輸手段を編みだし、実践しつつ、古代の社会というものを形成していったと考えられる。
その過程で、徐々に生まれ、形成されてきたのが、現代の諸外国でも「そういう時代のあったこと」が脈々と伝わっているところの、天地創造、国生み、天孫降臨などの言葉で言い慣わされてきた伝説、物語の数々に他ならない。ちなみに、「日本書記」には、こんな話が載っている。
「昔、天と地が、まだ分れず、陰陽の別もまだ生じなかったとき、鶏の卵の中身のように、固まっていなかった中に、ほの暗くぼんやりと何かが芽生えを含んでいた。
やがてその澄んで明らかなものは、のぼりたなびいて天となり、重く濁ったものは、下を覆い滞って大地となった。澄んで明らかなものは、一つにまとやりやすかったが、重く濁ったものが固まるのには時間がかかった。だから天がまずでき上って、大地はその後でできた。そして後から、その中に神がお生まれになった。」(宇治谷孟編集「日本書記(上)全現代語訳」講談社学術文庫、1988)
ここで興味深いのは、天地は混沌の状態から生まれたとしているのは、例えばギリシア神話と似ているようなのだが、ギリシア神話では天より対して大地が先行しているのに比べ、日本のそれでの見立てでいうと、天が地より先に成立しているかのように述べられている。
もっとも、いずれの神話においても、天地が出来たその後になって、神々が生まれたとしている。なお、列島神話としては、この他に「古事記」にも含まれている。しかしながら、こちらは、問題意識として列島の歴史を述べたものというより、狭義の神話そのものの世界観を醸し出す類いなのであろう。
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では、この列島での発端の話はどのようであったのだろうか。これについては、大してわかっていない。乾燥地帯でのような洞窟壁画のようなものは、まだまとまって見つかっていないからである。けれども、時代がさらに大きく下って、小さいながらも諸国家が並立するようになっていくにつれ、人々の共通の意識として用いられるべくして、多様な物語が育まれていったものと想像される。
その中の多くは、今となってはたぐり寄せられない。それにしても、この列島に古代の統一国家が現れる段においては、それらをできるだけ発掘、継承、体系化する必要性が権力を司る側において発生したことだろう。その最たるものとしては、まとめた『訓紀』と称される『古事記』と『日本書記』などにおいて通覧されているところの天地創造、国生み、天孫降臨の類の話なのである、と言って差し支えあるまい。これらはむろん事実ではない、つくり話なのだが、古代の人々の世界観は、今日のわたしたちの大方のそれとは大いに異なっていた。
ちなみに、『古事記』の大まかな創世記の筋書きは、こうなっている。人間の姿をしたイザナキの神(陽神)とイザナミの神(陰神)とが結ばれて最初の夫婦となる。これが最初である。もちろん、人間の姿をしているものの、『聖書』に出てくるアダムとイブの如き人間だけではない。この夫婦は、淡路島を生み、続いて四国、隠岐島(おきのしま)、九州、壱岐(いき)、対馬、佐渡島(さどがしま)、さらには本州を産んだ。こうしてできた地上すべてを「葦原の中つ国」と呼ぶ。この話は、世界にあまたある、単独の神が自然界を造っている創造主に他ならないという類の話とは、大いに異なる。
さて、前述のように、『古事記』は伝承なりの集大成であっても、時の政権による公式見解、すなわち正式な歴史書ではなく、伝承のままで書かれているとしても、編集の外部にいる人間からなんら、もしくは相当に責められる筋合いはなかろう。しかし、その直ぐあとにまとめられた『日本書記』は、相当に扱いが異なる。何しろ、この国(統一国家)の「これが正しい歴史だ」といってはばからないものだからである。
だから、ある程度の検証なり、平たく言えば上から下からの疑問なり批判にも耐えるものでなければならない。ついては、書きぶりを見ると、本文に続いて幾つもの「一書曰く」と銘打った叙述が頻繁に出て来て、関連してこういう情報もありますよ、ここは補強させてもらいます等々、時には本文を凌駕するほどの量の注釈がなされる。その『日本書記』の「神代」の項には、まるで見てきたかのように、日本列島の形成からの天地創造の歴史が、『古事記』より濃密な形でこう記される。
「伊弉諾尊・伊弉冉尊、立於天浮橋之上、共計曰「底下、豈無國歟」廼以天之瓊瓊、玉也、此云努矛、指下而探之、是獲滄溟。其矛鋒滴瀝之潮、凝成一嶋、名之曰磤馭慮嶋。二神、於是、降居彼嶋、因欲共爲夫婦産生洲國。便以磤馭慮嶋爲國中之柱柱、此云美簸旨邏而陽神左旋、陰神右旋、分巡國柱、同會一面。時陰神先唱曰「憙哉、遇可美少男焉。」
少男、此云烏等孤。陽神不悅曰「吾是男子、理當先唱。如何婦人反先言乎。事既不祥、宜以改旋。」於是、二神却更相遇、是行也、陽神先唱曰「憙哉、遇可美少女焉。」少女、此云烏等咩。因問陰神曰「汝身、有何成耶。」對曰「吾身有一雌元之處。」陽神曰「吾身亦有雄元之處。思欲以吾身元處合汝身之元處。」於是、陰陽始遘合爲夫婦。
及至産時、先以淡路洲爲胞、意所不快、故名之曰淡路洲。廼生大日本日本、此云耶麻騰。下皆效此豐秋津洲。次生伊豫二名洲。次生筑紫洲。次雙生億岐洲與佐度洲、世人或有雙生者象此也。次生越洲。次生大洲。次生吉備子洲。由是、始起大八洲國之號焉、卽對馬嶋壹岐嶋及處處小嶋、皆是潮沫凝成者矣、亦曰水沫凝而成也。」(『日本書紀』神代・上)
これらをつくったとされるのは、『古事記』と同様に、最初の夫婦となって結ばれたイザナキ(伊弉諾尊)の神とイザナミ(伊弉冉尊)の神とであって、かれら二人は、最初に「天浮橋の上に立たし、共に計りて曰(のたま)はく、「底下に、もし国無(む)けむや」とのたまひ、すなわち天之瓊(ぬ、真珠)矛(ほこ)を以(も)ちて、指し探りたまひ、是れに滄溟(あおうなばら、青海原)があった」という。そこで二人は、相談しながら、そして夫婦となり、その営み・交合を繰り返しながら、この国の大地と海などをだんだんにつくっていくのである。
(続く)
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