新678○○『日本の歴史と日本人』憲法9条と自衛隊(理念と現実のはざまで、2021)

2021-07-25 22:09:40 | Weblog
新678○○『日本の歴史と日本人』憲法9条と自衛隊(理念と現実のはざまで、2021)


 この項では、改めて、この国で闘わされている憲法論争の最たるものの現状、それから今後の展望について取り上げてみよう。まずは、お馴染みの、主要な、関連する条文から、再録して、おく。

○憲法9条
 
 「(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
 
○自衛隊法
 「(自衛隊の任務)第3条1 自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当るものとする。
2 陸上自衛隊は主として陸において、海上自衛隊は主として海において、航空自衛隊は主として空においてそれぞれ行動することを任務とする。」


 これにある憲法9条の解釈をめぐっては、21世紀に入ってから、いわゆる護憲側が、かなり押し込まれてきているようである、その一例としては、当時の政権側が、自衛隊が違憲だという憲法学者はいまや「2割「という言葉を発したり、先頃国民投票法の改正が通ったり、何かと慌ただしいことがある。

 ちなみに、憲法学者のうち、21世紀に入ってからの、ある概説をひもといてみると、「これまでの政府の考え方としては、自衛戦争肯定説が採用されている。憲法研究者の間では否定説が多い」(臼井雅子(うすいまさこ)「日本国憲法への招待」改訂版、同友会、2012)とされており、政権側の見解と逆の見方であるのは、興味深い。

 それはさておき、自衛戦争否定説の方のうちには、9条1項では侵略戦争戦争のみ放棄していて、しかし、第2項で戦力と交戦権を放棄しているため、結局すべての、戦争を放棄しているのだという見解をも含む。

 ところが、である。今日ある自衛隊の現状を「軍隊である」というのは、どちらの陣営もほぼ変わらない。その訳は、戦後のある時期から、この両方の見解は絶え間なく論争を続けてきた。だが、その間にも、自衛隊はますます大所帯になりゆき、軍備も大規模かつ精鋭なものとなってきている。そうして、いまや世界で名だたる軍事大国となっている。
 併せて、21世紀に入ってからの政権側は、2015年9月には安保関連法(戦争法)を、2017年6月には共謀罪法(2017年6月15日、いわゆる共謀罪の創設を含む改正組織的犯罪処罰法として、第193回通常国会で成立し、同年7月11日に施行)を、国会の数の力で強行した。

 そうなると、かかる憲法解釈論争はますます込み入ったものとなっていかざるを得ない訳であり、事実、国民目線からは辟易しかねないほどのつばぜり合いさえ演じることにもなってきているのではないだろうか。
 
 これには、かねてからの護憲勢力としてあった社会党の凋落もかなり影響していよう。この政党は、村山連立内閣のおり、憲法解釈をがらりと自衛隊合憲へと変えてしまった。その少し前からは、「違憲・合法」など、訳のわからぬ日本語を使うようになっていた。

 とはいえ、過去を色々とひもとくばかりでは、この国の現在そして未来に資する何ものも生まれることはあるまい、そこで何かしら、新たな視点を持ち込んで、この歴史を踏まえた現状認識の隘路(あいろ)からの脱出を、試みるべきだろう。

 そのおりには、やはりこの憲法に立ち返って、こんにちただいまの現状、そして未来がこの条項の改変を要求しているのか、していないのかを比較検討し、国民たるもの、おおいなる関心をもって、あらゆるタブーを恐れずに、語ろうと努力することでなければなるまい。

 なおさら、あえて憲法9条を護ろうというなら、その時しのぎの話ではなくて、この自衛隊をどのようにして縮小なり変革なりしていくのがよいか、深く考えねばならぬ。非武装精神を貫きたいのなら、この国はこの先何をどうしてゆかねばならないかを、先伸ばしにしないことだろう。

 そもそも、社会での人間の営為(えいい)というものは、一方の側からして、それは「間違いだから」といって簡単に覆せるものではあるまい。なおかつ、ほとんど誰もが認めぜるを得ないように、この問題では、国論は大きく二つに別れていて、取り扱いようによっては、どちら側に傾くにせよ、国民の間に深いしこりなり、分裂なりを惹起するものとなりやすい。

 そうであるなら、双方にとって、自らの正しいと考える方向に改めるには数十年、百年、あるいはそれ以上を要することもありえよう。とりわけ、この問題は、自衛隊や、そこで働いている私たちの同胞とその家族の運命にも死活的に関わってくる。それだからして、彼らの仕事や生活がこれからも成り立つように、取り計らわれなければなるまい。
 
 さらに、この問題をめぐって国際社会との関係も、今日的な視点に立った議論が望まれよう。憲法学者たるものは、なおさらのこと。私たち国民は、世界の情勢の変化にもしっかりとした目を向けるべきだろう。例えば、アメリカとの関係だが、日本の死活的利益(国益の中でも最たるもの)は、今後、隣国の中国によっても、かつてない規模で影響を受けることになるだろう。

 このような大局(見込みの大小はあれども)の上に、現在のこの国の立ち位置があらねばなるまいし、9条に自衛隊を明記しようとしている、自民党の中では米中分離論もあるようだが、アメリカの側に立って、政治的に国民世論を煽っているかのごとき話ぶりが多いのではないか。そうでないなら、そうであるべき客観的根拠を示すべきであろう。仮にも、いたずらに両方の間を引き裂こうとすることであってはなるまい。

 ちなみに、所見では、この二つの大国は今後は、世界のためにも喧嘩、争いを我慢してもらいたい、それには、2009年のオバマ・胡錦濤(フージンタオ)会談で合意した両国の連絡会議を定例化し、役立てるべきだろう。
 そうでなければ、この二つの国は地球史に有為な足跡を残せまい、またそうしなければ、この二つの国は、いずれも大国であるがゆえに、全体として人類を破滅へと導きかねない、危険な道となるだろう。それゆえ、この二つの国には、争い事は話し合いでもって解決してもらいたい。あわせて、ほかの国や地域としても、同様な態度で振る舞ってほしい。なぜなら、私たちはいまや、国境にしばられるべきでない、新時代の「地球市民」でもあるのだから。 
 
(続く)

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