もうぼくのへそ曲がりにも、ほどがあるようで。
そうかあ、そういうわけだったのかあ。
あるカフェで、猫のフォトのファイルをプレゼントしているらしい。
でも、ぼくの心の中では、またあのカメラマンだろうな、つい見もしないで
フンという感じでいました。
でも知り合いからそのフォトファイルの猫ちゃんを見て、もうびっくりしましたよ。
可愛い、かわいいのですよ。
こんなにすごいのかあ。これじゃあ人気出るはずだよねえ。
いかん、いかん、ぼくのへそ曲がりにもほどがあると思いましたね。
よくかんがえりゃあ、十数年前から猫のフォトを撮ったら、と言ってくれる人はおったのですね。
そして書籍でも、猫の写真がバカ売れ状態で、その中心のフォトグラファーの名前も当然知っておったと思います。
でも人の世界に入り込んではダメという、よくいえば自尊心というか、とにかくあまり実は見ていなかったと思いますね、ぼくじしん。というのも、ニューヨークに取材で行ったときに、偶然日本の猫の写真で、無理やり猫に学生服だかを着せて、暴走族風に撮ったり、そんなフォトが爆発的に売れていたころ、ニューヨークに住む、ある日本人がこれは動物虐待にあたる、とえらい怒っていたのですね、その大昔のイメージがどこかにあったみたいで、・・・。
ああ、すまなかったなあ、ごく自然に猫の可愛い生態をその売れっ子フォトグラファーはお撮りになっていたのでした。見もしないで批判的に思ったりして、嗚呼、ぼくは、すまなかったなあと思うのでした。
〈 まるでセロ弾きのゴーシュのように、ね 〉
ここいらへん宮沢賢治の童話を、よく読んでいる方がいるとよくお分かりになると思います。
これは、そのカフェでプレゼントしているという、猫のフォトファイルを見て、本当にぼくは驚きましたね。
これは人気出るのは当然です、そのくらい実によく映っている素晴らしい写真ですね。
そんなビックリすることが最近ありまして。
フォト・文 石郷岡まさを