facebook で予告編を書いていたように、だらだらと書いていきましょうか、サブタイトルのように。
朝カフェで、ゆったりするひと時はぼくの健康と心の安定のためにどんなにビンボしていても、必要なんだ。
クロワッサンと、紅茶のセットをもらう。メニューも、判で押したようにおんなじ。アボカドと、青い野菜を挟んだクロワッサンと紅茶をもらう。セットで380円。店のサービスには十分満足しているんだ。
これでも、かっては、クルーズで、朝の紅茶から、夕方のキャプテン主催のデイナーに、ドレスコードに従って出かけ、食前酒から、決められたテーブルに落ち着いてフォークやナイフがずらりと並んだ食卓で、何度楽しい晩餐をいただいたことがあったのだろう。夢を見ていたように思えるのだ。食事のボリュウムはちとすぎた時でも、愉しみは同じテーブルにご一緒した豊富な話題とエスプリの紳士や淑女だった。田舎者は何度舌を巻いたことだろう。必ず、どんなクルーズにも、優しくて話題も豊富でみんなをたのしませることだけに人生の殆どの精力を使うことにやぶさかではないというお人が乗り合わせるものだ。あるクルーズでは、どう見てもさる高貴な方々と思われるご婦人とご一緒したことがあったなあ。ドレスの豪華さとかそんなことではなく、話す物腰で、何と無く分かるのですね。なぜ、そんなクルーズの世界にお前が出しゃばっているのかいということですか?有難くもうれしかなし、専門雑誌の取材の仕事が、よく知っている編集プロダクションからある日突然やってきて、大慌てで、ぼくは吊るしのデイナージャケットを買って、タキシードというやつね、船に乗り込んだのが最初でした。本来、お祭り好きのぼくのことですから、船の旅は豪華だとか何とかそんなことは全く興味がなくって、ただただ乗り込んでくる面白い人をみつけて、ひたすら波間にただよいながら雑談に興じていたというわけなんです。日本のブルジョワジーに、面白い話をもできる人って案外少ないと思ったのは、船に乗って感じたことの一つでしたね。だいたいみんな忙しすぎるの、船に乗っても船の方ではあれこれと動くカルチャー教室よろしくギッチリとあれこれいっぱいの講習会やら何やら用意するんだけれど、そんなものまず興味はなくみなさん次は絵画の教室だ、はたまた手つくりのアクセサリー教室だとおばさん連中がお忙しそうに飛び跳ねている時、面白い人はだいたい朝からデッキに出たりあるいは船の中のお気に入りの椅子に陣取り何やら本を読んだり物思いにふけったりしているもんですね。退屈なわけ。おしゃべりする相手を求めているわけ。それが船旅の良いところ。じっくりと、気の合うお人とおしゃべりをできるんですねえ、これが。だってひたすら時間があるのだから。クルーズの魅力とは、ひたすら暇で、でも1日中人は海を見て過ごすという風にはできていない、そういう人もいるかな。誰かとおしゃべりしたい、ひたすら生産と無関係のバカ話をたんまりとしたいくらい出来る、それが船旅の魅力かと思うわけです。
1995年、夏。カリブ海で、ぼくはお殿様と出会った。
楽しいなんてもんじゃあない、親友が少ないぼくが生まれて初めてこの人はすごい、ぼくと波長が合うなあ、と波間にゆられながら感じた出会いがありました。確かに第1級の知性と教養と建設的な新しい何かをこの人はお持ちのようであるという感動がありました。ああ、今夜はこんなこと書くつもりもなかったのですが、どうしたのかなあ。
今日はここまで。
エッセイ 石郷岡まさを
朝カフェで、ゆったりするひと時はぼくの健康と心の安定のためにどんなにビンボしていても、必要なんだ。
クロワッサンと、紅茶のセットをもらう。メニューも、判で押したようにおんなじ。アボカドと、青い野菜を挟んだクロワッサンと紅茶をもらう。セットで380円。店のサービスには十分満足しているんだ。
これでも、かっては、クルーズで、朝の紅茶から、夕方のキャプテン主催のデイナーに、ドレスコードに従って出かけ、食前酒から、決められたテーブルに落ち着いてフォークやナイフがずらりと並んだ食卓で、何度楽しい晩餐をいただいたことがあったのだろう。夢を見ていたように思えるのだ。食事のボリュウムはちとすぎた時でも、愉しみは同じテーブルにご一緒した豊富な話題とエスプリの紳士や淑女だった。田舎者は何度舌を巻いたことだろう。必ず、どんなクルーズにも、優しくて話題も豊富でみんなをたのしませることだけに人生の殆どの精力を使うことにやぶさかではないというお人が乗り合わせるものだ。あるクルーズでは、どう見てもさる高貴な方々と思われるご婦人とご一緒したことがあったなあ。ドレスの豪華さとかそんなことではなく、話す物腰で、何と無く分かるのですね。なぜ、そんなクルーズの世界にお前が出しゃばっているのかいということですか?有難くもうれしかなし、専門雑誌の取材の仕事が、よく知っている編集プロダクションからある日突然やってきて、大慌てで、ぼくは吊るしのデイナージャケットを買って、タキシードというやつね、船に乗り込んだのが最初でした。本来、お祭り好きのぼくのことですから、船の旅は豪華だとか何とかそんなことは全く興味がなくって、ただただ乗り込んでくる面白い人をみつけて、ひたすら波間にただよいながら雑談に興じていたというわけなんです。日本のブルジョワジーに、面白い話をもできる人って案外少ないと思ったのは、船に乗って感じたことの一つでしたね。だいたいみんな忙しすぎるの、船に乗っても船の方ではあれこれと動くカルチャー教室よろしくギッチリとあれこれいっぱいの講習会やら何やら用意するんだけれど、そんなものまず興味はなくみなさん次は絵画の教室だ、はたまた手つくりのアクセサリー教室だとおばさん連中がお忙しそうに飛び跳ねている時、面白い人はだいたい朝からデッキに出たりあるいは船の中のお気に入りの椅子に陣取り何やら本を読んだり物思いにふけったりしているもんですね。退屈なわけ。おしゃべりする相手を求めているわけ。それが船旅の良いところ。じっくりと、気の合うお人とおしゃべりをできるんですねえ、これが。だってひたすら時間があるのだから。クルーズの魅力とは、ひたすら暇で、でも1日中人は海を見て過ごすという風にはできていない、そういう人もいるかな。誰かとおしゃべりしたい、ひたすら生産と無関係のバカ話をたんまりとしたいくらい出来る、それが船旅の魅力かと思うわけです。
1995年、夏。カリブ海で、ぼくはお殿様と出会った。
楽しいなんてもんじゃあない、親友が少ないぼくが生まれて初めてこの人はすごい、ぼくと波長が合うなあ、と波間にゆられながら感じた出会いがありました。確かに第1級の知性と教養と建設的な新しい何かをこの人はお持ちのようであるという感動がありました。ああ、今夜はこんなこと書くつもりもなかったのですが、どうしたのかなあ。
今日はここまで。
エッセイ 石郷岡まさを
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