本書によれば、「釈迦の仏教」は、「自力で自ら道を切り開く」ことが前提で、神秘的なものを一切排除した。死の直前の釈迦の遺言は「仏法僧を敬え」、であり自らの神格化も含めて、最後まで神秘性とは無縁だった。ところが釈迦の死後数百年頃に成立した大乗仏教の各派は「釈迦の仏教」を出家者中心で自利中心と批判し、在家者を重視して利他中心の立場をとる。
このような方向転換には、バラモン教など他宗との競争の影響も考えられる。大乗仏教の各派は、アクロバット的な論理の飛躍と想像力で創作した「お経」に基づいて、神秘的な様々な超越的仏に頼るという、「釈迦の仏教」とは似ても似つかない宗教を創造したのである。「釈迦の仏教」と同じく仏教と呼ぶのが不思議なくらい異なっている。本書では、各大乗仏教の諸派の成り立ちと特徴を解説している。
大乗仏教の最初の経典『般若経』は、「空」という壮大な概念を創出し、ひたすら経を唱えることで救われると主張した。「空」の概念が大乗仏教全体に及ぼした影響は大きい。
『法華経』は『般若経』の進化形とされ、「諸経の王」とも呼ばれる。すべての人々を救う「一仏乗」の思想が受け入れられ、ひたすら唱えることで得られるお経のパワーを信ぜよ、と主張した。
『浄土教』は阿弥陀仏と極楽という概念を創出し、ひたすら「南無阿弥陀仏」と唱えるだけでよい、という主張が特に日本で受け入れられた。浄土宗や浄土真宗など日本独自の宗派も生み出した。
『華厳経』は宇宙を具現するマンダラという概念を創出し、日本では奈良時代に「鎮護国家」として国家宗教となった。また、時代が下ると『華厳経』は密教を生み出した。『大乗涅槃経』は「一切衆生悉有仏性」を説き、修行を重視することで禅宗各派を生み出した。
「補講」として著者は、「深遠な仏教哲学の書」とされてきた『大乗起信論』という著作が、ごく最近大竹晋氏の研究『大乗起信論成立問題の研究』(国書刊行会、2017年)によってその誕生の謎が説かれたことを紹介している。
大竹氏は、『大乗起信論』は中国南北時代の中国人により、先行文献を断片的に寄せ集めて作られたパッチワークだということを、有無を言わさぬ形で証明したという。この発見で、本書を拠り所にした古くは最澄、空海、法然、親鸞ばかりでなく、近年の著名思想家・鈴木大拙や井筒俊彦も形無しである。著者によれば大竹氏の研究の影響が出始めるのはこれからだという。
著者自身は「釈迦の教え」を尊重する立場であるが、大乗仏教各派の信仰者も尊重する。要は「信じる者は救われる」で、自らを救ってくれると信じる宗教に頼ればよい、としている(おわりにかえて)。