まさおレポート

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ゴルバチョフを追悼して 久しぶりの京都 大阪 ゴルバチョフとの遭遇 再掲

2022-08-31 | 紀行 日本

ソ連最後の書記長、ゴルバチョフ元大統領が死去した。

フランスのマクロン大統領は「平和の人、ミハイル・ゴルバチョフ氏の死去に哀悼の意を表します。彼の選択は、ロシア人に自由の道を開きました。彼がヨーロッパの平和に尽力したことが、私たちの共通の歴史を変えたのです」

英国のジョンソン首相は「冷戦を終わらせた彼の勇気と誠実さを、私はいつも尊敬してきました。ウクライナでプーチンが侵略しているいま、ソビエト社会の開放に向けた彼のたゆまぬ努力は、私たち全員の模範であり続けています」

欧州委員会のフォン・デア・ライエン委員長は、「ミハイル・ゴルバチョフは、信頼され、尊敬されるリーダーでした。彼は冷戦を終わらせ、鉄のカーテンを崩壊させる決定的な役割を果たしました。自由なヨーロッパへの道を切り開いたのです。この遺産は、私たちが決して忘れることのできないものです。安らかにお眠りください」とツイートした。

グテーレス国連事務総長は、「彼は誰よりも冷戦の平和的終結に貢献した」と称えた。

バイデン大統領は「もう一つの未来が可能であることを見抜く想像力と、その達成のために自分のキャリアを賭ける勇気」を持った稀有なリーダーだったと声明で述べた。

プーチン大統領は深い哀悼の意を表明した。ソ連の消滅は「20世紀の地政学的大惨事」でそれを引き起こしたゴルバチョフへのどのような「追悼」がなされるのか。

各国要人の声明も納得だがわたしには京都駅に角が丸くなり擦り切れた古びたカバンを持って列車を待っていた姿がなによりも彼の人となりを表していたように思う。


2007-11-19 09:03:48 記事 久しぶりの京都 大阪 ゴルバチョフとの遭遇

京都宿泊中に何気なく見た日経新聞のちいさな記事でゴルバチョフが京都に来ており京都議定書に反対する米国を「戦争には多額の金をつぎ込むのに環境問題には無関心だ」と非難していることを頭に留めていた。11月17日は朝の11時9分発東京行きに乗車するためプラットフォームのエレベータを降りた。すると目の前にゴルバチョフが古びたカバンを手にもって立っているではないか。

風貌もそうだが額から頭にかけてのシミは彼に間違いない。私のイメージに残っているのは50代の精悍なゴルビーだが今は74歳になっている。やや顔にたるみが見られるが加齢とともに多少変化しているのは当然だろう。

京都の環境会議に出席して東京に向かうのだろう。我々より一本早いのぞみで発った。見送りには10名ほどの日本人とロシア人と見える人たちがいた。たぶん会議関係者だろう。

ソ連からロシアへの大きな変化は思えばここ20年ほどの出来事なのだとの思いを強くした。1985年にソ連共産党書記長に就任した後、ペレストロイカ、グラスノスチを推し進めて西側諸国から絶大な信頼を得た彼は1990年には初代大統領となった。

当時私はNTTデータを退職し、一月ほどヨーロッパに出かけた。この年西ドイツから東ドイツに向かってベルリンの壁が崩壊する様を目の当たりに見た。巨大な煉瓦の壁は所々砕かれその破片は土産物として売られていた。私もビニールに入れられたその一つを買って帰った。壁の周辺は観光名所と化し屋台がたくさん並んでいた。ベルリンの壁崩壊もゴルバチョフの東欧自由化政策の一環で実現されたものだ。

冷戦の終結と東欧の自由化というエポックでこの20年で彼ほど世界に影響を与えた政治家はいないと考えている私は、偶然新幹線のプラットホームで遭遇出来たことを素直に喜んでいる。


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