まさおレポート

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イワンは神の創った世界を認めない 福岡伸一「エントロピー増大の法則」ショーペンハウエル

2024-03-30 | AIの先にあるもの

初稿2021-05-07追記2024-03-30

「カラマーゾフの兄弟」でイワンは神の創った世界を認めない。仏教の輪廻と涅槃、ショーペンハウエルの「キリスト教には、根拠の原理から解放された箇所がある」。いずれもエントロピーの増大という根拠の原理からの解放とはを説く。


「カラマーゾフの兄弟」でイワンは神の創った世界を認めない。

「世界のフィナーレ、永久調和の瞬間にはすばらしく価値ある何かが起こり、現れてすべての人間の心を満たし、すべての怒りを鎮め、人間の罪や、彼らによって流されたすべての血をあがなう、しかもたんに人間に生じたすべてを許すばかりか、正当化までしてくれる、とな。・・・やがて平行線も交わり、おれ自身がそれをこの目で見て、たしかに交わったと口にしたところで、やはり受け入れない。」

「俺が受け入れないのは神じゃない、いいか、ここのところをまちがうな、おれが受け入れないのは、神によって創られた世界、言ってみれば神の世界というやつで、こいつをうけいれることに同意できないんだ」

イワンの宗教観つまり神の存在は認めるが創った世界は認めないというの核心部分が語られている。別のところではこの世界への入場券を返すといっている。予定調和的な運命論、宿命論に対する痛烈な批判は説得性がある。

イワンの神の存在は認めるが創った世界は認めないという理由がショーペンハウエルと福岡伸一氏の説明から結びつくものがある。

原罪(意志の肯定)が、キリスト(意志の否定)により救済されるという矛盾についてショーペンハウエルは次のように述べる。

キリスト教が伝えようとしている大真理は、ひとつだけである。それは、最初の人間が犯した原罪(意志の肯定)が、キリスト(意志の否定)により救済されるという教えである。

キリスト教には、根拠の原理から解放された箇所がある。それは原罪であり、アダムが性欲を満足させたことである。これは、生殖という種族の絆により、個体に分散してしまった人間(エントロピー増大の法則)が統一を回復するというイデアを教義にしたと言える。各個体は意志の肯定としてアダムと同一であり、意志の否定としてキリストと同一である。(カッコは筆者注)

福岡伸一氏は講演録で次のように述べる。

生命現象は、例えば人間なら60~80年は生命の秩序を固体として維持することができます。それに対して、宇宙の大原則「エントロピー増大の法則(熱力学第二法則)」があります。エントロピーは「乱雑さ」という意味です。

なぜ壊すことを優先するのか。それが「エントロピー増大の法則」に対抗する唯一の方法だからです。「法則」が生命現象を壊すより先回りしてわざと自らを壊し、つくり替える。まさに自転車操業です。https://www.academyhills.com/note/opinion/tqe2it000004wdhe.html

原罪(意志の肯定)が、キリスト(意志の否定)により救済されるという根拠の法則に一見矛盾することについてセックスこそが重要な「エントロピー増大の法則」対抗手段だと説明している。

生物の基本仕様は女性です。生命が現れて最初の10億年間、この世には女性しかいませんでした。母が娘を産み、娘がまた娘を産むという、縦糸が何本もあったわけです。しかし、あるとき欲張りな雌が、「自分の美しさと、あの女性の美しさを混ぜ合わせたら、もっと美しいものができる」と考えた瞬間が、どこかであったのです。https://www.academyhills.com/note/opinion/tqe2it000004wf07.html

つまりセックスこそが重要な「エントロピー増大の法則」対抗手段だと考えた瞬間が、どこかであったと擬人的に説明する。これでようやく原罪(意志の肯定)が、キリスト(意志の否定)により救済されるという根拠の法則に一見矛盾することについての理解ができた気がする。

ここでイワンの神の存在は認めるが創った世界は認めないという理由がはたと理解できた。生殖つまりセックスこそが重要な「エントロピー増大の法則」対抗手段として設計しておきながら生殖つまりセックスを諸悪を生みかねない原罪として罪の意識に問う、この設計者の矛盾を認めることができなかったのだ。

仏教の縁起は「エントロピー増大の法則」と生殖つまりセックスを諸悪を生みかねない意思を含めた世界のありようを苦と説明している。そしてダルマのみあって創造神はいない。救いは輪廻からの離脱=涅槃のみという、考えようによっては希望のない教義に見える。大乗に至ると救いは輪廻からの離脱=涅槃のみから離れられる気もする。

イワンが仏教を知っていたならば、入場券を返上する相手はいない。つまり怒りをぶつける相手はいない。だから狂い死にを免れて修行に励みそうな気がするがどうだろう。

 

「生物と無生物のあいだ」 


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