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まさおレポート

ボロブドールの回廊 実在した釈迦か久遠成道の釈迦か

初稿2007-04-12 追記2024-04-02

初稿の疑問は南伝仏教(今では小乗という蔑称は使わない)と北伝仏教(大乗仏教は今でも使われているがやはりおかしな言葉。)の違いによるものと理解した。

南伝にはいわゆる大乗は伝わらなかった。つまり大乗は南伝当時には未だ成立していなかったから。シルクロードが確立してのちに三蔵法師たちがインドの西まわりで険しい地形を超えて中国に仏教を伝えたがこの頃に大乗が成立したから。
どうして三蔵法師たちはスリランカなどに南伝しなかったのか。経済交流を兼ねていたのかもしれない。すると巨大な中国に渡る方が比較的小さいスリランカへ渡るよりも貢献度が高いと考えられたのだろう。
宣教師たちが大航海時代に経済交流や征服を兼ねて世界に飛んだがスポンサーがつきやすかったからだろう。同じ理由で北伝が盛んになり玄奘法師などにスポンサーがつき中国に渡ったのだろうと推測してみた。 玄奘が持ち帰った経典は、馬22頭分といわれている。キャラバンの協力なしにはなしえなかっただろう。
シルクロード経済の発展が日本に大乗をもたらしたと言える。聖と俗の合わせ技ということになる。

初稿2007-04-12
ボロブドールはインドネシア ジャワ島にある仏教遺跡だ。この地を訪れ、夕刻と夜明け前、そして、日中と3回に亘って回廊を進み、頂上常にあるストーパ群まで足を運んだ。回廊の両側には石のレリーフが彫られている。釈迦の誕生から苦行のあと、菩提樹下での悟り、そして、さまざまな出来事のあとの死、つまり涅槃までが長い長い回廊に描かれる。

全体に知っている話なので、筋を追いかけることができるが、余りに長いので集中力が続かず、途中からさっさと足早に頂上を目指すことになる。3回挑戦してやっと全体を一通り眺めた。もともと日本の寺院とは異なるものだとの先入観があるので、特にこの時点では日本との違いを考えたりはしなかったのだが、日本に帰ってからの読書で、その異質感がどこにあるのかを再認識した。

何気なく本棚から梅原猛著の「仏像のこころ」を引っ張り出して小田急線で乃木坂まで行く間、再読してみた。そうすると、東南アジアには釈迦の出生から解脱、涅槃にいたるまでの一生の物語が至るところに見られるが、日本には誕生仏と解脱した釈迦像が多く、さらに多いのは如来像であり、その一生の物語は彫刻やレリーフではほとんど見られないとの記述があった。
ボロブドールだけでなく近辺の仏教遺跡にも釈迦の一生のストーリーがレリーフで描かれており、それをひとつひとつ見ながら進むと最終地点でストーパにいたるようになっている。その中には解脱した釈迦がおわします。その最終地点にいたる回廊の道程が極めて重要なのだろう。

日本の寺院は、そのような道程を経ずに本堂の如来像などに礼拝する。梅原はこの理由を、東南アジアの釈迦は実在した釈迦に焦点をあわせて礼拝の対象としているが、日本の釈迦は久遠成道の釈迦が礼拝の対象だと説く。それはなぜかと、どんどん話が展開していくのだが、それはさておき、以前からなんとなく感じていた異質感が、読書の一節で再認識させられた。


 
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