追記
阿川弘之の著作「雲の墓標 春の城」中にト連送の話が出てきたのでメモをしておきます。
バリ島に滞在中いつものようにプールで水中歩行しているとプール友達のスペイン人ホセに「トラトラトラ」は何の意味かと尋ねられた。海外では日本では思いも寄らぬ質問が飛んでくる。
太平洋戦争の開始を告げる真珠湾攻撃時に「我、奇襲ニ成功セリ」を知らせる電文の意味は知っての上での質問だと思ったのでとっさに「モールスを知っているか」と手で電鍵を叩く仕草をして見せるとなんとホセは判るという。さすが元スペインの情報官だ。私も高校時代にモールス信号を覚えて知っている。
トラトラトラという言葉に特に意味は無くて、モールス信号の叩きやすさから選ばれた文字の組み合わせではなかろうか、と答えた。「トラトラトラ」はモールスでは・・-・・ ・・・ ・・-・・ ・・・ ・・-・・ ・・・となる。覚えやすくて響きが単純だ。ちょうどSOS信号が・・・---・・・とシンプルで判別しやすいのと同じではないかと考えたからだ。
気になるのでネットで調べてみると海軍航空隊が「ト連送」なる信号を用いていたことを初めて知った。「ト連送」はトというモールス信号を連続して送ることで航空機に対する突撃開始の命令になる。
・・-・・ ・・-・・ ・・-・・と繰り返し信号を送り続けるので当時の通信技術でも間違いなく認識できる。トは突撃のトだが、こうしてモールスを並べてみると突撃ラッパの「トテチーテタ」のように聞こえてくる。
トラトラトラは「ト連送」から派生したもので「トラ連送」と呼ばれ「我、奇襲ニ成功セリ」になる。なぜトのあとにラがくるのかで諸説あるようだ。薀蓄派では聖徳太子までさかのぼっているものもある。あるいはラは・・・で和文ではラだが欧文ではsとなり、suceededのsだというものもあった。
航空機の操縦席から極めて緊迫した状況で電鍵を叩くのだから簡単で覚えやすくなければならない。ラは・・・と簡単でsuceededのsにも通じる。こんなところが真実ではなかろうかと思える。それに付け加えて、なによりもこの響きがいかにも成功した興奮を伝えるのにふさわしいと私には感じられる。
のちに高校時代の同窓の集まりでトラトラトラの意味を集まった数人に問いかけてみた。いずれも一級通信士で大型船舶の通信長経験者だ。彼らの回答は経験者ならではのもので、共通して電鍵がたたきやすいことだ、各説はあとでつけたものではないかと答えた。正式の史料による説明はどこにもないようだ。
「ト連送」の後の長く続く長音は悲壮な意味をもつことも合わせて知った。特攻隊が電鍵を押したまま敵艦に突撃していくので・・-・・ ・・-・・ ・・-・・の後に途切れの無い長音が続き、玉砕か撃墜されたか、いずれにしても命を落とした瞬間にその長音が終わる。
これは永遠のゼロを見て新たな知識を得た。宮部久蔵の特攻志願の謎を知る通信兵の話の中で出てくる。
特攻が敵艦を発見した時はラ連送・・・・・・・・・・・・・・・になり、その後長く長音が特攻開始を意味する。その長音を通信兵がストップウオッチではかり、短時間で止めば機は撃墜されたことを、長い長音の後に止めば敵艦に特攻が成功したことを意味すると。(この長音の話は紀野一義氏も学徒動員で体験している)
この長音は残酷な音なのだ。臨終を示す生体情報モニターの音が同じ長音なのもなにかの偶然か。
参考
1941年12月2日連合艦隊司令長官山本五十六は北太平洋上を航行中の機動部隊に「新高山登レ1208(ニイタカヤマノボレヒトフタマルハチ)」を送信した。
1941年12月8日に米国ハワイの米軍艦艇、施設、基地を攻撃せよとの暗号命令で、機動部隊はただちに攻撃準備を開始。
機動部隊は南雲忠一中将が指揮官であり、空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「瑞鶴」「翔鶴」
戦艦「比叡」「霧島」
巡洋艦「利根」「筑摩」「阿武隈」
空母搭載の戦闘機120機、攻撃機144機、爆撃機135機合計399機の戦力。
1941年12月8日午前3時10分オアフ島カフク岬に達した第1次攻撃隊の総指揮官・淵田美津雄中佐は搭乗機から信号拳銃を発射し各隊に「奇襲」展開の指示。
1941年12月8日3時19分淵田中佐はモールス信号のト連送を各機に発信。
1941年12月8日3時22分「われ奇襲に成功せり。トラ、トラ、トラ」を送信した。
100年前の日露海戦はITの勝利。
三六式無線電信機がバルチック艦隊を破る海戦に決定的な影響を与えたという。つまりモールス信号関連の技術が世界史を変えたことになる。
秋山真之参謀はトップに3回も上申を繰り返し三六式無線電信機を1903年(明治36年)に制式採用させた。
無線電信はグリエルモ・マルコーニが1894年頃に発明した。日本海軍は世界トップレベルの通信力を整備した。
三六式無線電信機はバルチック艦隊発見の報告で戦況を有利に導いた。
ロシアはマルコーニとほぼ同時期にアレクサンドル・ポポフが無線電信を発明していたが普及が遅れていた。無線電信の採用が日露両国の明暗を分ける。
児玉源太郎は、日本の海底ケーブル敷設にイギリスから電信用ケーブルを輸入し日本最初の海底ケーブル敷設船「沖縄丸」をイギリスへ発注した。
海底ケーブルは朝鮮半島と日本間などに敷設され朝鮮に停泊していた戦艦三笠と東京の大本営とで電信による通信が行われた。
ありがとうございました。
ただ、最後の「臨終を示す生体情報モニターの」
はとってつけた感がなきにしもあらずと思いま
した(^-^)