マサの雑記帳

海、山、庭、音楽、物語、歴史、温泉、経営、たまに税について。

花実の咲かまほしき

2022-04-02 20:28:02 | 日記
 3年前に喰った桃。
種が木となり、この弥生初めて花開いた。早朝、庭に出ればメジロとシジュウカラが蜜を吸いに来ているので、動けず遠巻きに眺める。母が切り花を仏壇に生ければイモムシがわいて大騒ぎになる。

 ももクロ三年、ガッキー八年。ここ数年、人に誇れる仕事といえば、到来物の桃の美味さに女房が「あたしは子供のころ近所の桃を毎日勝手にもいで食ってた。実の成らねえ木花はいんねえ、おらにもっとかしぇろ(食わせろ)」と尻たたかれ、種を花と化したことである。古の故事成語というのはなるほど真実であった。
 茨城の古河市は桃の花(果実ではない)が近在では有名である。成長早く薪炭としやすく、かつ花実のなる樹木として藩主が植樹を奨励し、江戸で種を拾わせたという逸話が残る。

 さてさてウンチクを語りつつ桃の花見をしようと思ったが、その不穏なる空気を察知した女子供らは浦安なる夢の島もとい夢の国に早朝出かけてしまった。残されたのは、「めんどくさい」爺と父。

 「暇だな。どっか行きたいとこある?」
 「福岡堰の桜、俺見たことないんだよな」
 「え?そうだっけ」

母や妻子とは何度となく訪れている近隣の桜の名所、ゆえによもやよもや。かなしきはてておやなり、わすらるるものであるらし。

 「歩きたくないんだろ?」
 「そんなことはない」
 「トレッキングポール持ってく?」
 「別に俺はじっくり花を見たいわけではない。ので、ささっと見られれば十分」
 「つまり面倒くさいんだろ?面倒くせえな。車の屋根開けて走り抜けようか?」
 「ま、それでもいいが」

 歩かず水飲まずテレビを見つつ炬燵でうたた寝す。誰が言おうが、言うこと聞かず。生きたいのか死にたいのか解せぬわがまま。それが老い、かと己50歳にしてようように察す。
 まずはつくばの農林試験場近くの桜のトンネル。渋滞はこれ幸い。風は冷たく晴れた昼時、優しくシフトチェンジ&半クラッチ。その連続に左足が少々疲れる父子のドライブ。目指すは福岡堰の桜並木なり。

 駐車場は長蛇の列。厠の前にて父は車を降り、100メートルほど桜並木を散策した様子。
 「花は盛り。構図はこれというのがないなあ」
 「そのものずばり、みたいのがあざとくていやなんだろ?いいじゃんか分かりやすくて」
 「おれは花や筑波山より水がいいんだよ」
 「ああそう」
 「いちおう写真は撮った」
 「ああそう・・あの木橋よくないか?桜を近景にして遠目に木橋入れたら広重だ」
 「好きじゃない」
 「あ、そう。コーヒー飲みに行く?」
 「それがいい」

 高校時代のバンマスが営むロックカフェは花見客で忙しかったらしい。
 「いやーもうくたびれてさ、店閉めようかと思ったよ」
 「今日だけ、のことだよな?」
 「うん。なんか忙しくてさ今日」
 「桜だろ。俺もいま親父と行ってきたとこだよ」
 「あーそういうことか、咲いてるよねー」
 なんというか、微妙にずれてる感じが似ている。

 「お前んとこの親父さんは、どう?」
 「あー退院して近所歩いてリハビリ中」
 「元気になって良かったな」
 「ん-なんかなあ。なんでも自分が正しいと思ってんだよ。言うこと聞かないしさ」
 「めんどくさいよな」
 「うん、めんどくさい」

 唐突に「君は顔変わったなあ」と私の父。

 「え?いやー変わってないですよ顔は」
 「いや、親父、こいつ痩せたんだよ少し」
 「顔変わったと思うなあ」
 「えー顔は変わってないですよ」

 思えば高校時代この同級生の家に行くとステテコ姿の親父がいい気分で現れ
 「お、オーコシ来てるな、どうだ調子は?」
 「はあ」
 「まーいいや頑張れよ」
 「はーい」
というやり取りを何度となく繰り返していた気がする。
何を頑張ればよかったのだろうか。

 このロックカフェは俺が行くと暇になるのか、暇なときに俺が行くのかわからない。
いずれにせよこいつは言うことを聞かないが、会うたびに同じように歳を取っているのでさほど腹が立たない。
ただし毛量の多寡は除く。ここ数年負けているがこの先どうなるかは分からない。勝負はこれからだ。

 「温泉いく?」
 「いい、着替えるの面倒くさい」
 「そうか。牛久沼のほとり、弘法大師さんの下の桜、見に行こうか」
 「それならいい」
 
 結局、親父も俺もあいつもあいつの親父も、この水辺からたいして遠くに行くことはできなかった。もっと遠くに行きたい、と熱望した記憶は確かにあるが、今日という一日を恥じることはなく、なんとなく嬉しい。

 「美味いコーヒーを飲めてよかった」
 「ああ、なら良かった」
 ・・・桜ではなかったらしい。

 庭で一人酒を飲む。俺は今日頑張った。
そして家族はディズニーランドから帰ってこない。


 ※画像はこの時期の近所の川を描いた父の絵です

確定申告 手書き高齢者VSパソコン税理士

2021-02-03 20:05:16 | 日記
確定申告の期限が4月15日まで延長されました。
昨日は確定申告コールセンター、今日は税務署で無料相談でした。
電話と対面では傾向が異なるのですが、多かった質問と助言を参考までに。
(長いので時間のない方は①~⑨を読めば事足ります)


① 持続化給付金 
 事業所得として課税です。消費税はかかりません。収支内訳書は「その他の収入」欄、青色決算書はP2の「雑収入」欄に記載します。
② 市町村独自の事業者向け給付金
 ① と同じ扱いです。
③ 一人10万円の定額給付金
 非課税で、申告不要です。
④ 年金(雑所得)※年金以外の所得が1000万以下の方
 65歳以上で、330万円未満の年金収入なら、年金収入から110万円引いた額が雑所得の金額です。
⑤ 医療費控除
 医療費控除の明細書の添付が必須です。領収書1枚ごとではなく医療を受けた人、病院・薬局等、ごとにまとめて記入できます。
 自前の集計表と領収書袋詰めでは基本ダメになりました。
⑥ 基礎控除
 48万円に増えました(その代わり、給与所得控除と年金の控除額が減りました)
⑦ スマホ申告
 アイフォン13以降でないとできません。
⑧ 税務署での相談
 事前整理券制です。当日朝並ぶ方法もありますが、LINEのホームで国税庁と入れ、友達追加すると日時を指定して予約できます。
⑨ 時間を作りたい
 アイフォンのホームボタンを3回押して、白黒表示にします

 税務署の対面相談では圧倒的に高齢者が多く、皆さん「確定申告の手引き」を真面目に読み込んで「きれいに手書きした申告書」を持ってきます。
「毎年やってて俺は分かってる、しかし今年は手引きが変わって、よくわからないから見てくれ」というのが多いんです。
チェックして二重線を引いて修正するのですがこれが実は結構時間がかかります。手書きは算式や税率などを確認しつつ電卓をたたき、細々とした欄を見極めつつ記入するので、かえって手間取るのです。(老眼も進んできましたし・・・)
 しかし、高齢者の生真面目な「これはどこに、どう書けばいいんだ、俺は知りたいんだ」という質問に答えると非常に理解が進みます。単純に業量をさばくなら、「紙での提出はやめてパソコンで入力しませんか?」となるわけですが、恥ずかしながら「あ、そうか」とこちらが気づかされることが多かったのです。

 デジタル庁ができて、否応なしにICT化は進んでいくと思います。一方で個人的な懸念が2つ。
一つ目は、制度設計とシステム設計が首尾一貫したものになるのか?ということ。大手企業にシステム開発を丸投げ、運営面の詰め甘くエラー続発、現場悲鳴、誰も責任取らない、というのをよく見ますからね。「失敗の本質」読んでほしいなリーダーたちには。
二つ目は、手書きしない世代はエラーが起きたときに対処方法のオプションを自分で想起しづらいのでは、という人的資源の劣化の問題。

 これからの小規模事業者はクラウド自動会計がデファクトスタンダード!的切り口で、相談を受けたりします。今日も税務署にスマホを持ってきて「freeeに入れてるから申告したいんだけど」という方がいました。結論としてその方の入力では必要な情報が不足しているし、必要資料もなかったので、前年の手書き申告書と他の必要資料を持参してもう一度来てください、という指導になりました。

 ネット関連企業はいわば、パブリシティに関するイニシアティブを持ち、インターネット発信に長けています。与党へのロビー活動も抜かりないでしょうから、彼ら企業が発信する情報を一般ユーザーは鵜呑みにする傾向があるようです。「これで全部できるって聞いてこれでやってるんだけど。有料プランだし」。

 なんか企業にとって都合の良い、確かに最先端なんだけど、サブスクリプションプランの救われないカモが増えなければいいのですが。
同じ文脈で、「全生徒にタブレットを、パソコンを」という誰も逆らえなさそうな論調にも怖さを感じます。詳説はせず、極論しますが、スマホやタブレットはドラッグです。ドーパミン放出による反復の欲求を生じさせるからです。便利だけど危険なナイフを子供に与えるなら正しい使い方と、起きうる危険に対応した付き合い方を教えるはず。コロナの影響と世界に追いつけで、「まずはIT機器導入!」で喜ぶのは、究極的にはGAFAだけではないかと勘繰ってしまいます。

 手書きできるお年寄りの前で、プロフェッショナルなのに四苦八苦する己を客観視した時、パソコンの使えない高齢者と使える税理士、どちらが本質に近いのか、と背筋が少し寒くなりました。写真の本、お子さんのいる方、ぜひ読んでください。私も自身のここ数年の習慣を顧みて大いに反省し改善する点がありました。スマホは白黒にするといいですよ!

you're to blame

2021-01-30 23:36:50 | 日記
 あーミックジャガーと一緒に叫びたい
「ぜーんぶおめぇのせいだっぺよー」と。




 世のどさくさに紛れて通勤しなくなった。
会おうと思う人としか会わない。
生来のモノグサに歯止めが利かない。
まる一週間、家族以外の誰とも会わない。
日中は一人、モニター相手に過ごす。ラジオが友達だ。
 10cmに育った金魚は俺を無表情に一瞥する。
どちらも水槽を突っつくが、
子供は餌をくれ、大人は通り過ぎる。
彼らは理解している。リアルを。

 すっかり朝ドラの「おちょやん」ファンになってしまった。
芝居とキネマというテーマもテンポも好みだし、
なにより篠原涼子の和服姿を来週からまた見られるのが嬉しい。
 仕事に期限はあるが、求めるものに際限はない。不安はループする。
相談相手がいないと、いやむしろ嫌な奴がいないと
ネガティブな感情を客体化できない。
人のせいにするって最高!つまり俺は弱い人間だ。

 見兼ねた一年生が3時のおやつを食べると、俺を連れ出してくれる。
「はっせんぽあるくんでしょう?」
返事はもちろん「ワン」だ。

 飽きるほど歩いた川原だが、夕暮れ時の光景に飽きることがない。
「幸福は一様だが、不幸は多様だ」というようなことを言った人がいた。
朝日よりも夕日は解釈の幅が広く、味わい深い。
 そんな道に、きっちり口を縛られた始末の良いゴミ袋45リットルサイズ。
ご丁寧に「混ぜるな危険」な液体が8割がた残っていて、
ガムテープを巻かれた包丁、紙で包まれたカミソリが入っている。
さび止め、浴室カビ除け、整髪料、きれい好きなんだね君は。

「川に流さず、危険防止もしてあるし、うん頑張った。
自分をほめて道の真ん中に置いておこう。どこかの親切な人に拾われてね」

 俺は小学校1年生に愚痴った。
「情けないな、クソだな」
すべてはどこかのクソ野郎のせいだ。
「じゃあ拾う?」
飼い主様はマナー良く俺が口から吐き出したクソを拾ってくれるという。
「あ、そう・・ね」

 というわけで重いゴミ袋を持ち帰り、怒られると思ったので一応分別したのだが
やはり妻は怒った。

「こんな重いんだったらリュック持ってくるんだった」
と愚痴った俺に飼い主様は
「じゃあリュック買えば」「お、いいね」

 それから3日後、土曜日に飽きもせずモニターに向かう俺に
「リュック買いに行こうよ」
本気だったのか・・・
ホームセンターの店員に、いかしたリュックの置き場を聞くと
末っ子と俺の姿を見比べて
「ああ、卒園の劇に使うんですね」ニコッ。

 俺は弱い人間だ。不本意ではあるが買ったら使いたい。
だから今日は、農作業用の竹籠をしょって歩いた。
俺の散歩道に立ち塞がるやつには容赦しないぜ。
黄昏時の散歩デートで愚痴る情けない男の姿を、将来ある女子のトラウマとしないために。

 竹籠は8割がた埋まった。
昔空き缶、今ペットボトル。マイクロプラスチック化しているものも多い。
ポリ袋有料化?くだらないぜ小手先さ、俺は俺の散歩道を歩く。
 
 帰宅したら、俺の人生を誤らせたロックギタリストがシングルモルトを持ってやってきた。
「いい酒だぞ、舐めるように味わうんだ。浴びるように飲むなよ」
クソ、お前と高校時代に会ったせいだ。
そう俺は今夜気分がいい。

お見舞い雑感

2021-01-24 15:55:47 | 日記
長女が盲腸で入院している。
ウイルス性胃腸炎だの、子宮頸がんワクチンの副反応かもだのと
町医者2軒を右往左往した挙句、大病院に行ってみたら入院即手術となった。
コロナのせいで、付添いや面会は1名だけ、術後の経過が予断を許さないとのことで
妻がPCR検査を受けたうえで1週間泊まり込み。

 初めて長男の弁当を作った。洗濯をし、末っ子が寂しがるのをなだめすかしながら宿題をさせ、
冷蔵庫の中を漁ってなんとか食べさせて送り出す。ごみを出し、必要な届け物を看護師経由でするため、
往復2時間、患者にも付添にも会えないお見舞い。ご褒美はLINEの写真のみ。

 不謹慎だが充実した一週間だった。まず余計なことを考えなくてよい。
感謝の言葉はなくとも、誰かに貢献している実感がリアルで確信できる。
通学の見守りで旗を振ると小学生が手を振ってくれる。
そして会えないのを承知で誰かのもとに車を走らせる虚しさが、
ちょっとした自己陶酔感をもたらす。まるで独りよがりの初恋だ。

 届け物に忍ばせたパンダのぬいぐるみを中一の娘が抱えている写真を見て報われたと思ったよ。
多くは望まない。けれど妻のいない週末にチープトリックを聴きながら、
こっそり十代の君を思い出すことくらい、構わないだろう?

次の曲はって?
分かってる、すべては君の言う通り、
ビートルズなんて古いし綺麗ごとばかりでつまらないよ。
何が聞きたいの僕にだけ教えてほしい。

あそびはキケン

2020-09-29 23:05:00 | 日記
 「いかに女房の目をかすめるか」
という旧友K君の大命題について考察する、
わけではないのであしからず。

 働き方が変わり時間の融通は利くようになった反面
仕事とプライベートという区分は曖昧になった。
その結果、勤めていた時には出来ていた
「休日、プライベート、遊ぶ」
というシンプルな方程式に依存できなくなった。

 マゾヒストの気があるのか、
縛られていたほうが解放の快感が大きかったように懐古する。
20年以上勤め人をしていたその習慣や喜びのツボは
なるほど一朝一夕に消えるものではない。

 さりながら、今更菜々緒ちゃんに鞭で打たれることを
夢想して悶々とするわけにもいかぬ。
かくして中年男は如何にして日々に刺激をもたらそうかと思案し、
やはり新たな遊びにチャレンジするに如かずとの結論に達する。

 しからば、新たな遊びとは何か?
そも遊びとは何ぞや?

 やる気の起きない昼下がり、紀行文などをダラダラと読みながら
「あーあそびたいなー」とひとりごつのであるが
何をして遊びたいのかわからない。このようなことは初めてのような気がする。

 釣り、バンド、バイク、クラブ通い、サーフィン、格闘技、登山、などが
過去に比較的にのめりこんだ遊びといえる。一方で
K君のようにマメでもないし、いい匂いがしないので、「大人のあそび」には
縁がなく、かといって夜な夜な繰り出すほどの甲斐性もなく、酒もさして強くない。

 ゴルフの好きな経営者の方と話していて
「行こうよ」と誘って頂いたのに、もごもご言っていると
「じゃあ何して遊ぶの?あーおねえちゃんの店だ、はーん」
とニヤニヤされるので
「いえ、走ったり、あマラソンはしないです。アスファルトの上を走るのは
好きでなくて。軽く山登りしたり林の中をジョギングしたり。そういう大会もあってですね、こないだ・・」
とゴルフに対する弁解のつもりが
ダメな営業マンのずれたプライベート公開のようになってしまうんですねえ。ダサ。

「え、山で走るなんて危ないじゃない」
と仰るのに
「いえいえアスリートではないですし、かるーくなんで危なくはないですよ」
とも言い切れず、それ以上に
「あー素人のあんたが軽ーく怪我したら俺んとこどうすんの?迷惑なんだけど」
という言外の意もあろうと思えば、
「そうですよねえ」
と他人事のように相槌を打って胡麻化さざるを得ず。

 自分が怪我病気した時、誰かにフォローを頼める体制とは
勤め人の時もさんざ命じられ、長ずるにつれ心がけてきたことではあるのですが
どこかで「集団における一兵卒の穴なんざ俺の自負と関わりなく勝手に埋まってしまう」
と思っていた部分もあります。半沢次長には怒られるでしょうが。
それでも、いざ顧客から暗に示唆されると
「俺はチームじゃないしなあ、プロとしては、危なっかしい遊びしてる人だな、と思われてしまうのかなあ」
と悩みつつPCに向かうのであります。

「あー思い切り遊びたい、でも何して遊んでいいか分からない」
幼児がこねる駄々のようなものです。結構苦しい。
こういうとき、皆さんどうしてるんでしょうかね?

とりあえず戻ってこられるように
目的地に向かうルートの先読みをして、自身の現在位置を適宜把握し、そのルートを維持する。
夏中、地図読みの座学と、里山を地形図片手に考えつつ歩くことを実践しました。

「高山でなくても遭難しますよー、熟練者も迷いますよー、でも迷うことを前提としてるので
迷ったときに気づくのが早くてリカバリーが早いんで、迷ったように見えない」

とアドベンチャーレーサーの田中正人さんの講座で教わったのが2月。

「地形図を見て、目の前に現れるだろう景色をイメージする、そうすると
その景色を早く実際に見たくて思わず走ってしまうんです」

と真顔で無邪気に言っていたのがとても素敵だなあと思った。
50代半ばのおじさんですよ。
ただタフで速いんじゃない。未知を確かめたい、クイズを解きたい、
ナビゲーションスポーツ、という言葉を初めて聞いたのもこの時でした。

 明瞭なルートが大会運営者によって敷かれていれば、舗装、未舗装を問わず
身体能力のみに依拠するタイムレースとしての側面が強くなります。

体力と訓練時間に優位性のある若者や元アスリートといった人に敵うべくもなく、
趣味として一人山中を走るにしても、どこかでそのヒエラルキーの末端であることを意識してしまう。
人と比べる浅はかさを自嘲する。気を取り直して
俺は木々の爽やかさを感じることを主目的としているから、身体パフォーマンスの
向上なんざ関係ねえぜ、と粋がる。しかし
「じゃあ、じいちゃんばあちゃんと同じように、木々や花、鳥の声を愛で、のんびりお弁当を食べて
歩くほうが泰然として人として成熟しているのではないかい?」と
自ら反問してしまうのですよねえ。

 未熟なんですね結局のところ。でも老成したくないと足掻きたい。
本当は面倒くさいから諦めたい。イタいなあ、我ながら。

 そんな中、ひと夏かけてやった地図読みドリルはパズルみたいで面白かった。
仕事の休憩時間に少しづつやりました。次にその著者の師匠筋にあたる
日本のナビゲーションスポーツの泰斗、村越真氏のちょっと理屈っぽい
読図、ナビゲーションの本を読むと
「あーオリエンテーリングやってみたい!」と思いつく。
「いや、いっそアドベンチャーレースとか面白そう」と夢想する。
しかし、そもそもマイナーな遊びの上に、COVID19でイベントは中止ばかり・・

 地図が読めれば山での危険は少し減らせるでしょう。楽しみ方も少し知的になる。
事業計画があっても、現在地点、時間管理ができなければ画餅に終わる。
地図とコンパスの関係のようです。

 しかし遊びのリスク管理では、一人商売で顧客に迷惑をかける危険は減らない。
だから、苦手なチーム活動というのも少しはしていかなければならない、
のかもしれない。

はぁ