マサの雑記帳

海、山、庭、音楽、物語、歴史、温泉、経営、たまに税について。

袋田の滝

2016-01-31 22:16:56 | 日記
 この週末は冷えるとのことだったので
一度くらい凍った袋田の滝を見てみようと出かけた。
雪が降るくらいでは暖かいのだそうで、水量豊かに水音が響いていた。

 その後、あんこう鍋を食べたいということで北茨城へ。
五つの切り立ったリアス式の浦があることから
五浦(いずら)という場所。
 
 明治期に日本美術を世界に紹介したフェノロサの助手として
芸大の創設に尽力し、その学長となった岡倉天心が、画壇と袂を分かち
横山大観(水戸出身)、下村観山、菱田春草らと共に、移り住み画道精進した地。
ゆえに漁村の風情の中に、簡素ながら文化を育む地である。
 ちなみに米米クラブの石井竜也の実家は当地のお菓子屋さん。

 明治の人は偉かったなあと思う。
西欧のルールの中で、日本のアイデンティティをなんとか分かりやすく
伝えようと努力していた。
 かつて天心の「茶の本」を読んで感銘を受けた。
茶道のあらましのみならず、いわゆる日本的な美意識の概論
であったような覚えがある。
 
 とはいえ花より団子。
あんこう鍋(どぶ汁、と地元では呼ぶようだ)は
肌がつるつるになった。ゆでた身を、肝と合えた酢味噌で食べる
「とも酢」を家人はいたく気に入っていた。

 漁港の資料館に
慰問でいらした天皇皇后両陛下の写真が飾ってあった。
心によりそう、ということが伝わる写真だった。
「仁」とは相手に顔を傾けて穏やかに問うことなのだな
と思える。折しもフィリピン訪問の記事が毎日新聞に出ている。


 ひきかえ臣下の体たらく・・


雪の白、清々とした海の青。
見習いたいもの。

酸っぱいので食べられません基準

2016-01-21 22:02:55 | 日記
 廃棄すべき食材が横流しされたそうで。
職業倫理、法規制といったことを無視して考える。
即ち衣食足らないので礼節なぞ知ったことか、という観点で。

 かつて、文学的な興味から数日間路上生活をしたことがある。
お金があるうちは良い。無くなると途端に飢える。
日常によくある「うおー腹ペコだ」という空腹と
「やばい食い物がないと・・」
と焦りつつ感じる飢えは、異質であった。
ホームレスの方から、廃棄オニギリの寄付を受け
「あー美味い。食えるんだな」と感じた。
 一方で、終生この不安と戦いつつ、生産もせず消費もせず
市場経済の余剰を、物理的に拾うことを生業とすることはできないな、
と思い、社会復帰したことを付記す。

 岳父は職人で、色々とおいしいものを送ってくれるのだが、
当人曰く、貧乏育ちなもので期限切れの食べ物を捨てられず
意図せずして土産物の中にこれが混じることがある。

 当初「マジかよ」と思ったのだが10年来のことで慣れた。
結局たどり着いた対応策は田舎の年寄りの変化を求めることでなく
「ちょっと食べて酸っぱかったら吐き出す」
「変なにおいがしたら食べない」
という、冷蔵庫普及以前は誰もが行っていたであろうことである。

 結局、格安ビーフカツは貧乏人の口に入るのであろう。
今日の食に不安を抱える人も安全は欲しいが
背に腹は代えられない、えーい買ってまえ。
 で、食えなかったのだろうか?

 狩猟採取民は「毒なのか食えるのか」思案しながら
食材の選択から入ると思う。それよりはるかにイージーではないか。
基本は食えるものなのだ。ただ格安で鮮度の保証はないだけだ。
中国製のブランドものと変わらないではないか。

 食料の再分配機能が必要らしい。
データを参考に供す。





 最も恥ずべきは、食えると思って横流しする業者、知らずに格安の怪しい食材を買う貧乏人。

ではないと私は思う。

 
マズロー曰く人間の欲求には5段階あり

1生理的欲求
2安全欲求
3社会的欲求
4尊厳(承認)欲求
5自己実現欲求

 巷間をにぎわす事象は、所詮は1、2に紐づいていて、
死なないなら是非も無し、のレベルなのである。
それを3の観点で正邪を論じているようなズレを感じる。

 むしろ、本事象以上の人数、金額の規模で世の中を歪めている輩は、
1.2に思い煩うことなく、3,4のあたりで、
近代社会の余剰をかすめとっているのでは
なかろうか。合法に。時に非合法に。
それこそ人間にしかできないことだ。ゆえに醜悪だ。
 私の尺度では、それを「卑しい」と言う。

先憂後楽、すべき人たちの卑しさぞ目に余る。



タイリクバラタナゴ

2016-01-16 17:17:05 | 日記
 あまり知られていないが、茨城県は農業生産額において
北海道に次いで全国2位である。一大消費地に近接した
供給基地という面もあろう。
 西日本で10年過ごして戻ってみると
派手な観光地や食材に乏しいが、米、野菜、魚、水、
まずまず豊かで「まあ、いがっぺ」と内部充足している人が多い
ように感じる。
 結果、対外的なアピールが弱く、都道府県ランク最下位、というのは
周知のとおりである。

 小さな世界で充足できたらどんなにいいだろう。
龍安寺の裏手に手水鉢があり「吾唯足知」と彫ってあり、
水戸光圀が寄進したものと言われている。
 茨城には彼が晩年を過ごした、西山荘という山荘がある。

 思うに茨城県人は、中央に近いために情報は入ってくるのだが
案外に食・住が豊かなので、スタイルを世情に合わせようという経済的動機に乏しい。
しかし同時に、時流との齟齬は認識し分析はするので、合わせなきゃという
葛藤から、以下のような典型表現が生まれたのではなかろうか。
 水戸の三ぽい、という。
理屈っぽい
怒りっぽい
骨っぽい
 幕末の水戸藩士の、桜田門外の変や、天狗党の乱、いずれも
大きな目で見れば、有為の人材を失った短慮、と言わざるを得ない。

 私の小さな世界は、家から2分の里山と田、その傍を流れる小川である。
幼少時には田であったが現在は耕作放棄された湿地。
打ち捨てられたような、芦と水と林に囲まれたその世界は静かで、夕日が美しい。
散歩の度にカワセミも見ることができる。

 その小川で今日初めてタナゴを釣った。
子供のころは大きい魚が釣りたかったのだが
長じてみれば、小さな魚が愛おしく感じる。

 タナゴはドブガイ(地域ではカラスガイ、バカガイと呼んでいる)
に産卵をする。この二枚貝は、その名に似ず、
そこそこ水質がよいところでないと生きられないそうだ。
 塾で知り合いの他校生に長靴姿を目撃され
「(釣りキチ)三平」とあだ名されたほどに
釣りをしていた私も、子供のころは釣ったことがなかった。
 新発見である。

 しかし、その私の小さな世界のど真ん中を道路が走るという。

 車に煩わされない、年寄りの良い散歩道であった。
私は、私の小さな世界で、子供にミミズの取り方を教え、
それを餌に雑魚釣りの手ほどきをした。
夏はとっておきのクヌギの木をパトロールし、シマシマの蚊に刺され、
夜はホタルを探し、毛虫に刺される。私が幼かったころのように。
そんなささやかな体験の遺産さえ、残してやれない国がいいのか?国土交通省。
世界遺産の登録がそんな大事なことか?過去の死者が残した遺産を残し続けるのは
登録の事実じゃない。そこに価値を見出す生者の感受性が継続することではないのか?

 だから、今日、環境が改善した証を釣り上げたのに悲しい。
小さな世界はなぜに常に犯されるのか。

 かつて、東京人の民度の高さに感銘を受けた世田谷の羽根木公園。
高い意識に基づいたプレイパーク。
私の小さな世界を、あのようなものに、したかった。
無念である。
 




鏡開きの夜の酢豆腐は絶品でげす

2016-01-11 20:24:27 | 日記
 おせちに飽きた先週は、もつ鍋(福岡在住の7年間に良く行った
「幸」に極力近づけることを家人は目標としている)、
120個の餃子で貧しき肉欲は満たされており
あっさりしたものということで、「湯豆腐」をリクエスト。

 「湯豆腐」といえば、南禅寺。かつて楽しみに出かけたが
関東人の私にはえらくあっさりしたもので、
昼間の京都で飲むことを憚ったせいもあろうか
「すごく薬味の種類が多いので目先が変わるのは良い」
という印象。また、こういうことを言うと怒られるかもしれないが
山椒を振るととりあえず京風?みたいな。
すみません。

 で、酒の味もわからない頃に、どんな味だろう、と思ったのが
落語「付け馬」にでてくる、朝湯に入った後の湯豆腐。

 付け馬とは、吉原で飲んで遊んだ客がお銭
(おあし、足の生えているようになくなってしまうから)が足りなくて、
「帰ってから払うからさ、ね頼むよ」というときに
若い者がついて行って、しっかり回収するよ、というその若い衆のことをいう。

 で、その朝帰りの客が
「さっぱりしたいね」
と付け馬を従えて朝風呂に入り、
「下っ腹にすとんときなすったね」
と、湯豆腐を肴に迎え酒をする、そのくだり。
美味そうだな、と思いませんか?
 そう思ったら運の尽き、あわれ付け馬の末路は、という噺。

 豆腐は結句、水と出汁ということなんでしょうが
酒池肉林的な翌朝には確かによく合うような合わないような。

 合併とかで古くからの地名がなくなるのはつまらないものですが
鶯谷とか日暮里というのは、茨城県人には常磐線でなじみ深く、
古くから変わらずに風流な地名です。

 この界隈、昔は「寮」というものがそこかしこにあったそうで。
ごついあんちゃんがジャージでウロウロしているような所ではありません。
小股の切れ上がった小粋な姉さんが、ひなびた風情の数寄屋造りに住まう、
平たく言うと旦那に囲われている、そういうお土地柄でございます。

 で若かりし頃の私も、鶯谷で夜明かしし、
ぶらりぶらりと歩いていますと
豆腐「笹乃雪」なるお店。付け馬、の湯豆腐だ!
 一方で気乗り薄なお連れ様と共に
入店し、朝酒と湯豆腐の夢をかなえたのであります。
 当然振られますな。

 忠臣蔵の磯貝十郎左衛門、正岡子規との
いわれあるお店だったと、後で知りました。

 それから幾星霜、今宵の我が家の湯豆腐は
かつて仲間とキャンプしたときに使ったアルマイトの大なべ。
ここに小ぶりの器を入れて、醤油、とろろ昆布、かつお節
を温めつつ、豆腐、白菜、塩タラが色づくまで煮る。
あとは菊正宗のぬる燗を少々。

 豆腐とかつお節と昆布が肝心です。

 というようなことをしたり顔で言う奴を
落語では「酢豆腐」
と言いますな。

おあとがよろしいようで。



①酢豆腐
通人ぶった若旦那が町内の若い衆に
腐った豆腐を食べさせられるお話。
中学の学園祭で演りました。
ブルージンやモダンラブの流行っていた頃です。


②件の豆腐料理屋の近くには
昭和の爆笑王
林家三平資料館もありますよ!

スターマン、好きだけど
空気読まずに

どうもすみません。




 






おすすめの芸談

2016-01-09 23:49:28 | 日記
 赤めだか 見ましたか?
正月休みに見たテレビは録画しといたこれくらいでした。

 談春役の二宮君もさることながら
志らく役の携帯電話の金太郎君(名前知らない)
のとぼけた感じ。つつじに謝る帝国重工のゴリライモ、など
役者ぞろいでした。

 大御所の小さんを師匠に持ちながら、破門された
落語界の異端児を描くのにふさわしく
ストーンズをBGMに使ったりして大変楽しめました。

 この「赤めだか」は2008年に刊行され、
当時ハードカバーで買い、一人楽しみ、放置。
帯には「談志、談春、師弟初の二人会」の
告知があったりして、結構売れていたのです。

 今回のドラマ化で、本棚の片隅でほこりをかぶっていた本も
二宮君ファンの家人の脚光を浴びました。
「なんで面白いって言ってくれなかったのよ」
ドラマを見ていない両親にも貸したところ
「初笑いだ」といたく好評でした。

 タケシは「落語はずるい。型があるからそこへ逃げ込める」
というようなことを以前言っていた記憶があり、
そのタケシが談志を演じることを引き受けたところに
「思い」があるんだろうな、と。
 
 それで、留年したあげくなんとか書き上げた
卒論を十数年ぶりに読み返しました。
「落語が生まれるまで」
実業に役立たない学部に5年も通ったあげく、寄席に通い
江戸の面影を探して歩き回り、
永井荷風を気取りつつ、話芸の歴史を探る
完成度の低いブラタモリのような文章を書いて、就職。
無駄だったな。

 でもその頃に小さん、談志、志ん朝、圓蔵・・
という人たちに生で笑わせてもらったこと、寄席の
色物芸のワンパターンと熟練を愛でる余裕を一時でも持てたことは
今となっては良かった。
 亡くなる直前のおばに、売れ出したころのきみまろのCDを安物の
ラジカセと共にあげて喜んでくれたこともあったし、
無駄の多い本棚から老境の両親に笑いのネタを提供できたし。
 あ、今、生で見たいのはピロキ・・ていうか真似してみたい。

 落語や寄席は面白かった。江戸の生活を垣間見ることができた。
文七元結やらくだ(団十郎と富十郎のらくだを見たことは今となっては自慢)
は歌舞伎の世話物にもなっている。
 江戸文化の下地に芳醇なユーモアとペーソスの世界があったこと、
それを追慕し続け「落語は人間の業の肯定だ」という
彼なりの結論(だと私は思う)に至った、談志のやせ我慢は
それ自体が落語だし、だから、評伝もドラマも面白くないわけがない。

 九鬼周三曰く「粋とは諦観に基づいた媚態」とのこと。
階級社会という制約の中で庶民も「分」を守ることは是としつつ
その不合理は理解している。その共通意識のなかで、反逆のためにじたばたするより、
受け入れ冷笑し、制約の中で美しく装う、というのが江戸という百万都市が
理想とした美意識。と私は理解している。

 この論旨に則り、粋になり切れない大多数の「諦観を持ちえない往生際の悪さ」
を「業」とするならば、「業の肯定」こそが落語だ、と言い切った談志の、
深い情が見え隠れする。

 話芸は論じるものではないし、その無粋さを分かったうえでなお
論じずにはいられなかった談志の
「現代落語論」「続現代落語論」
は、知的好奇心を満たしてくれると思います。

もっと単純に噺家の人生の面白さでいうと
古今亭志ん生「なめくじ艦隊」
小粋な噺家の芸談だと
桂文楽「あばらかべっそん」
をおすすめします。

「黒門町の師匠」なんていう呼び名、しびれる。
初めての給料で文楽師匠のいきつけだったという
神田川でウナギを一人で食べに行った。

池之端のやぶ、で寄席のはねた後の晩年の小さんと
一緒になったがサイン欲しいって言えなかった。

「赤めだか」は、そんな憧れが沢山あったころを思い出す
面白いドラマでした。