ショーロを聞きつつ。
父の絵では、夕暮れの牛久沼を描いたものが好みである。
なにしろ夕方まで釣りばかりしていた。
川から見える中学校では年に数回は殴り合いをしなければいけなかったので
「早くこの爺さんたちみたいに釣りばかりしてえなあ」と心底思っていた。
さりながら人はそれぞれで。
個展で「欲しい」という声が多かったのは、
アヤメを近景に牛久沼を描いた新緑の陽光、これは老若男女。
ドライフラワーにする過程の薔薇を写した静物画。
これは中高年の、圧倒的に女性。
正直、私は静物画は面白いと思わなかった。
これすなわち「オンナゴコロガワカラナイオトコ」
ということになろう。
K君とM君が秘密の口伝をしてくれた「必ず成功するナンパ術」。
目から鱗のすごい講義、鮮やかに蘇るその時の光景。
だのに内容が思い出せない。ゆえにいまだモテない。
心より残念である。
カヌーのできるキャンプ場は、
微に入り細を穿つ酷評がネットに載っていた。
22,3年前であろう、高校の同級生とその彼女と、
その彼女が将来結婚する男と、彼が当時付き合っていた
彼女と、その彼女の妹と、彼女のいない私。
生まれて初めてのパエリア、川原で食わしてもらって
川下りが楽しかった、童心に帰った記憶。
仲間以外の人が居たことなどまるで思い出せない。
そんなことを伝えると、
酷評されていたおばさん「それはありがとう」と。
この人はずっとここにいた、と思った。
人生はラジオのようなもの。
ノイズの向こうに聴きたい音があり、
聴きたい音はノイズに邪魔されない。
とDJボビーが言っていた。
20年越しの結論は「いいとこ」でした。
それはさて置き。そもそもの目的はカヌーより
「モクズガニの味噌汁」。
その定食屋では延々とゴルフ中継が流れているし、
何より飯が出てこない。
「来たぁ」
夢中でむさぼり
「おいしかったあ、又来まーす」
満腹の30分後に思い当たる。
生きた川ガニを捌いて味が出るまで煮ていたかも。
空腹は最高のスパイス。不在がそれを際立たせる。
失われつつある若さ。
「あなたは美しかった」
という声を、贈られたであろうその薔薇から聞く。
生の落日は見ず、盛りの緑とアヤメを見ていたい。
この人の知らないあの人を。
ん?かつて「あの人」と見た夕陽ならいいのか…。
くわばらくわばら「この人」も育毛に励むとする。