マサの雑記帳

海、山、庭、音楽、物語、歴史、温泉、経営、たまに税について。

両面待ちのリスクヘッジ

2015-04-26 01:42:02 | 日記
悪意のラジコンを想定できないことを
責めはしない。
ベストではないがベターな仕組みが今の世だということだし。
ただし、先見の明を持つのが凡人に困難である以上、
省みる謙虚さはリスクヘッジであり、ゆえに古来より美徳とされてきたはず。
従って、「想定外」を繰り返す彼らとその取り巻きの言う「安全だ」という言葉に
疑義を持つのは健全な批評精神であろう。

茶化すことは京の落首や江戸の狂歌のようなもの。
軽蔑されるだろうが俺はドローンを飛ばした阿呆を支持する。
よるべき権威が崩れつつある世を望むわけではないがね。

非合法組織のリスクヘッジは高度だと思う。
彼らは常に悪意を想定し善意を出し抜く。

殴り合いもしたことのない官僚やエスタブリッシュメントに
ぞっとするような悪意を想像できるのか?
そんな連中に算段される戦に駆り出されるのははまっぴらだね。
汚い土を何世代も先まで残したくない。

がんばれポール!俺も頑張るよ明日の草刈り。

初鰹に思う

2015-04-04 23:20:43 | 日記
カツオが好き。
花沢さんではありません。

有名な句が喚起する印象より、いささか早い気もするが、
「銚子沖」とパックに印字されていたから
素人の私が知らないだけで関東も初鰹の季節なのだろう。

皮付きの厚めの刺身が好き。
生姜醤油にシソ、みょうがを放り込み、半身くらいはすぐ食べてしまう。
本当はニンニクを入れたいところだが、人様と会う用件があれば
さすがに我慢する分別はある。
が、そういうのも時代遅れになりつつあるのかもしれない。

ともあれ初鰹が二両二分(18万円ほど)で贖われた時代があったとか。

髪結新三という小悪党が小娘をかどわかし、返す代わりに手に入れた金。
「かっつぉー」
という呼び声を聞きつけた新三は、子分に買いに行かせ、
初鰹で一杯と洒落込もうとした矢先、
溜った店賃の取立てがてら家主がやってきて、
あれよという間に半身持っていかれてしまう。

口の達者な小気味のいい悪党が、家主にやり込められる
滑稽さと、初夏のさわやかさ。

そんな一幕が印象的な「梅雨小袖昔八丈」。
生で見たのは中村勘三郎の新三。
江戸弁の歯切れよさ。茶目な感じ。ちょっとかすれた声。

好きな役者というより、いて当たり前の人気者。
あえて贔屓をするほどでもない大衆魚。
そしていなくなってわかる残念。後悔。

歌舞伎を見だした頃、当たり前のように毎月出ていた人がもういない。
雀右衛門、芝翫、富十郎は、それなりのお年であったけど
団十郎、勘三郎、三津五郎、は若すぎる。

平均寿命40代の時代、その切実さに裏付けられた粋を、
生身の現代人が体現するのに、どれだけの乖離に耐えなければならないのか。
公演日程も過酷すぎる。松竹はもう少し役者を大切にすべきだと心から思う。

2列目に座っていて、舞台上の団十郎と目が合ったとき、
下腹部にドンと気が入りこんできて、びっくりしたことがある。
骨身削って演じていたと思う。

極私的だが一番好きだったのは富十郎さんの声。
滑舌よく、朗々と通りよく、耳に心地よい。

好みの声の頂点が富十郎さんだとすると、発声の悪い役者が多すぎる。
その中ではやはり海老蔵の声がいい。

頼むから長生きしてくれよ。

花咲く乙女たちは

2015-04-03 21:54:12 | 日記
眠い。
気温をはじめとした外部環境の変化に自律神経の
転換が追い付かないからと聞いたことがある。

花盛り。いやさかの春。
お江戸に花吹雪をもたらす弥生の風。

つくばを臨む わが常陸野にては
八分咲きの桜が花の状態のまま吹き飛ばされていた。
花びらになることもかなわずに。
その花を無邪気に拾う人の多いこと。
老若問わず女性ばかり。
乙女の怖さよ。

ご当地の桜名所として名高いつくばみらい市の
福岡堰に母を連れて行った。

強風にもみくちゃにされながら咲く花。
花を映す水面近くには菜の花の黄色。
舗装されない堤が2キロメートル続く。
おのずから強く匂うのは桜よりむしろ菜の花。
ゆえにトンネルのように垂れ下がる
桜の花びらを嗅ぐ人。

多摩丘陵の団地から茨城に連れてこられて
早や30年。
それでも福岡堰に来たのは私は2回目。母は初めて。

冬の引っ越しで、初めて見た常陸野は茶色が勝り
兄としてつっぱてはいたが、えらく心細い気がしたものだ。

実は美しいときのほうが多いと思う。
ただ、私の抱く故郷の原風景としては
芽吹き前の殺風景な、土埃の舞う畑と
その向こうに見える双峰の山のような気がする。

というわけで今日の気分は
アルバム ベガーズバンケットから
NO EXPECTATION

案外、茨城だっぺな。