マサの雑記帳

海、山、庭、音楽、物語、歴史、温泉、経営、たまに税について。

父の誕生日

2016-10-30 23:59:02 | 日記
 よしなきこと

 世にあまたありぬれど
十三参りを経つる児の
てておやのことのはいといみじ

枕草子 七段


 意味のないもの
って世の中に色々あるけど
いけてる、って思いたい年頃の子供にとっての
父親の言葉ほど甚だしいものはないわね。

 という恩師の訳を思い出した。

10月30日は老父の誕生日であった。

 ウォーキングもせず
ジムにもいかず
ただ絵ばかり描いている。
それも変わり映えのしない
故郷の風景画ばかり。

 商業デザインをしていた頃もあったのだから
広重的にハッとするようなショットを切り抜いては
どうか、とリクエストするのだが
てんで耳を傾けない。

 雲とか水とか移る緑とか
とらえどころのないものの色の追求を
ひねもす、サラリーマン時代のように勤勉に続けている。

 スケッチにかぶっていくキャップがよれよれなので
妻とハンチングを見繕ってきた。

 孫娘のピアノで誕生歌を
歌ってもらい、
絵や折り紙を贈られ嬉しいようだが
嬉しいふりかもしれぬ。

 息子のクロールも様になってきて
楽勝とはいかなくなってきた。

 追う身とは
老ゆる身とぞ知る
神無月
水に流るる
悔いのことごと

枕草子 七段は嘘でした!



 


 

秋のそぞろ歩き

2016-10-15 23:38:22 | 日記
 秋の夕暮れであった。
空気の匂いとでも言おうか、知らず興を催す。
 
 百人一首中、季節の歌では秋の歌が最も多い。
不順な季節のめぐりの中で、久方の「らしい」天気である。
「らしい」とはいわば破調のない安穏さを示すのであろうから
その意味でようやくに訪れた「らしい」は「らしくない」のであり、
いつしか、「らしくない」天気や出来事が「らしく」なるのかもしれぬ。

 秋しかり、時代しかり、抜け毛しかり・・
衰微の兆しに琴線を揺らされるのは本邦の文学趣味の王道である。
されば、いささか青臭い書生気質を復活し
懐かしの水道橋、神田界隈から本郷を経て池之端へと歩く。
 この辺り一本入れば道幅狭く車少なく人少なし。
そこかしこに旧町名の案内板あり、築地塀や古い建築も楽しめる。
旧岩崎邸の石垣を見上げつつ、下る細い坂道の間に丸い月。

 不忍池に至れば、各国の人々が屋台のあれこれをつまみに
にぎやかに。のどが鳴りますな。
月にスカイツリー、弁天堂の朱、蓮の池に街明かり。
賑わいにベンチの恋人、子連れの夫婦、写真を撮る老人、流暢な英語を話すテキヤの若者。
 
 月と古今の建築の競演にスマートフォンを構える人がそこかしこに。
刹那を小粋に切り取りたいという衝動は時代を超えた普遍ですな。

 ざれ歌を一つ

池之端 
さんざめく秋 辯天の
月や かむばせ 空の木の杖

お粗末。