トロのエンジョイ! チャレンジライフ

「人生で重要なことはたった3つ。どれだけ愛したか。どれだけ優しかったか。どれだけ手放したか」ブッダ

連載小説「あなたの騎士(ナイト)になりたい」第4回

2018-06-11 19:36:55 | 小説・あなたの騎士(ナイト)になりたい
 若い女の声だった。
 なんだろう、痴漢か? 僕は立ち止まった。
 すると、近くの路地から、女子高生とおぼしき女の子が飛び出してきた。
「す、すいません! 助けてください!」
 警察に通報かな……僕はとっさに電話を取りだしていた。
 路地のほうから、男の靴音が聞こえてきた。追われているのか?
 酔っ払いにからまれている、というより、事態は深刻なようだ。
 やがて、女の子の後を追って、50歳くらいの小柄な男が現れた。
 ケンカになっちゃうかもしれない、と思う。まさか僕が逃げ出すわけにはいかない。
 どうやらこの男一人のようだから、女の子を無事に逃がすくらいのことは可能だろう。
 男が突然、何やらわめき出した。日本語ではなく、英語でもなかった。
 外国人か? 僕は一瞬ひるんだが、スマートフォンを男に向けた。
 僕としては、手荒なことをすると警察を呼ぶぞ、という威嚇のつもりだったが、通じたかどうかはわからない。
「おい! 早く逃げて!」
 僕は女の子に呼びかけた。
 すると今度は、女の子が男に向かって、大声で罵声を浴びせた。やはり僕にはわからない言語だった。
 一体どういうことなんだろう。
 男は、まずいと判断したのか、踵を返して、夜の街の中へと走り去っていった。
 僕は、警察に通報しようと、スマホをタップした。すると女の子が、
「あ、ごめんなさい、警察は呼ばないでください!」
「え?」
 警察は呼ばないでくれって……まさか万引きでもしたんじゃないだろうな。
「面倒なことになるので。事情はあとでお話しします」
 丁寧で、真面目さが感じられる口調だった。こんな時間に街中でトラブルに巻き込まれたようだが、非行少女というわけではなさそうだった。
「じゃあ君の家に連絡しよう」
 僕がそう言うと、女の子は困ったように、
「家はちょっと……遠いので」
 なんだそりゃ。家出したのか?
 雨の中を逃げ回ったのだろう、長い髪が濡れて、ぽたぽたと滴が落ちていた。制服もずぶ濡れだ。
 このまま、ほっぽり出すわけにもいかないかな。
 でも、そうは言っても……。
 女の子は、急に思い出したように、ぺこりとお辞儀をすると、
「助けてくださって、ありがとうございました。あたし鳴神っていいます」
 へ?
 ナルガミだって……?

「そうだったんだー、運命の出会いっていうのかな、こういうの」
 葵さんは感心したように言った。
 僕らは葵さんのアパートにいた。来たくはなかったが、この場合、僕の部屋に連れ込むわけにはいかなかったので。
 僕が助けた女の子は、鳴神梓(なるがみあずさ)。
 あのチェスプレイヤーの鳴神美鈴の妹だという。
「すごいんだね、君のお姉ちゃん。一緒に暮らしてるの? 家はここから近いのかな?」
 葵さんは、早くも梓を質問攻めにしていた。
「両親が離婚して、私たち姉妹は別々に育ちました。姉は父と世界中を転々としていて、今どこにいるのかもわかりません」
「君はチェスはどうなの?」
「全然できません。でも姉は、5歳の頃から父から英才教育を受けました。父は、もとチェスの日本チャンピオンでしたから」
「なるほどー」
 そんな事情があったのか。
「さっきの男に心当たりは?」
 僕は訊いてみた。
「海外のマスコミから雇われたんだと思います。姉の居所を教えろって……」
 梓は悲しそうな顔をした。そして、急に思い出したように、
「あれはスペイン語です。両親の仲が良かったころは、海外で暮らすことが多かったので」
 そうだったのか。
 チェスのトッププレイヤーというと、優雅な生活を想像するが、実際にはいろいろと苦労もあるんだな。天才とは、結局のところ何かを犠牲にして作られるものなのか、僕はそんなふうに思った。
「ん? でもさあ、君とお姉さんは同じ名字なの? ご両親が離婚したんでしょ?」
 葵さんが訊いた。
「鳴神は母の名字です。父はなぜか、公式の場では姉に母の名字を名乗らせてるんです。父の名前は木下礼治っていいます」
「えー! 木下名人の娘さんだったのかあ! どうりで……」
「私、姉がかわいそうで……」
 少し気まずい雰囲気。しかし、葵さんは意に介するふうでもなく、
「それで、お母さんはスナックを経営してるんだね? 今日はそこへ行く途中だったわけだ?」
「はい」
「じゃあ、これからみんなでお母さんがやってる店に行こうよ。ちょうどいいじゃない」
「はい……」
 梓がなんとなくためらっている様子なのが気になった。葵さんはそういうことには鈍感そのものだ。



(つづく)



 
コメント (2)
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