やがて、日が陰ってきた。
「今日はありがとう」
すっかり長居してしまい、僕は美鈴に礼を言った。
「どういたしまして。あたしも楽しかったし」
「変なこと訊くけど、これからのプランは何かあるのかい」
「んー、仕事とか? しばらくは何もしないで、2人の時間を楽しもうって決めたの」
「そうか」
「いよいよ食いっぱぐれたら、お母さんの店で雇ってもらおうかな」
美鈴は冗談めかして言った。
今までの2人の収入を考えると、当分は仕事をしなくても、生活が成り立つだけの余裕はあるだろう。
芽衣とラルフが、向こうの部屋で何やら話し込んでいた。すっかり打ち解けたようだ。
「井上さんと、芽衣さんって、付き合ってるの?」
美鈴が訊いてきた。
「はは……昔ね」
帰りの新幹線の中で……
「マサヒロ、今日はどうもありがとう」
芽衣が言った。
「いやいや」
「すっかり遅くなっちゃった。旦那に連絡しとかないと」
……ダンナ?
結婚してたのか……。
「はいこれ」
別れ際に、芽衣は名刺をくれた。
友談社『ウィズダム』編集部 小池芽衣
「なにかあったら、いつでも会社に訪ねてきてね」
「ああ」
「それじゃ、マサヒロ」
芽衣は夜の街並みを、歩いていった。
僕は複雑な気持ちのまま、帰宅の途についた。
スナック『ポル・ファボール』にて。
「美鈴とラルフのところへ? わざわざすいません」
洋子さんが言った。
「2人で暮らすって言い出したとき、私、反対はしたんですけどね。でも、言い出したらきかない子ですから……」
「まあ、あの2人なら大丈夫ですよ」
僕は水割りのグラスをあおった。
「ところで葵さん」
「はあい?」
隣で飲んでいた葵さんが、とろんとした表情で答えた。
「賢一くんはどうしてるんです?」
「ああ、あの子、もう12歳だからね。親なんて留守のほうが喜んでるわよ」
そんなもんだろうか?
「それよりさ、ラルフか美鈴ちゃんに、チェス愛好会の名誉顧問になってほしいなあ」
「あの2人じゃ、ケタが違いすぎますよ」
「だから名誉顧問だってば。会報誌にほんのちょっと寄稿してくれればいいんだけど」
頑張りすぎない、というか、いい意味の放任主義で、賢一くんは健全に、たくましく成長しているようだ。結局のところ、子供がどうなるかは、親の人格しだいなのだな、と僕は思う。
それから1週間後、雑誌『ウィズダム』に、「チェスと私」という小さな記事が載った。
元世界チャンピオンのラルフへのインタビューを簡単にまとめたもので、記事の最後に、担当者の名前として「小池」とあった。
控えめな報道だったが、日本でのチェスへの関心度を考えると、まあこれくらいが適当なのだろう。「チェス・エイリアン」と呼ばれた美鈴のことも、世間はいずれ忘れる。そのほうが、あの2人にとってもいいのではないか。
約束どおり節度ある記事を書いてくれた芽衣に、僕は感謝した。
(つづく)
「今日はありがとう」
すっかり長居してしまい、僕は美鈴に礼を言った。
「どういたしまして。あたしも楽しかったし」
「変なこと訊くけど、これからのプランは何かあるのかい」
「んー、仕事とか? しばらくは何もしないで、2人の時間を楽しもうって決めたの」
「そうか」
「いよいよ食いっぱぐれたら、お母さんの店で雇ってもらおうかな」
美鈴は冗談めかして言った。
今までの2人の収入を考えると、当分は仕事をしなくても、生活が成り立つだけの余裕はあるだろう。
芽衣とラルフが、向こうの部屋で何やら話し込んでいた。すっかり打ち解けたようだ。
「井上さんと、芽衣さんって、付き合ってるの?」
美鈴が訊いてきた。
「はは……昔ね」
帰りの新幹線の中で……
「マサヒロ、今日はどうもありがとう」
芽衣が言った。
「いやいや」
「すっかり遅くなっちゃった。旦那に連絡しとかないと」
……ダンナ?
結婚してたのか……。
「はいこれ」
別れ際に、芽衣は名刺をくれた。
友談社『ウィズダム』編集部 小池芽衣
「なにかあったら、いつでも会社に訪ねてきてね」
「ああ」
「それじゃ、マサヒロ」
芽衣は夜の街並みを、歩いていった。
僕は複雑な気持ちのまま、帰宅の途についた。
スナック『ポル・ファボール』にて。
「美鈴とラルフのところへ? わざわざすいません」
洋子さんが言った。
「2人で暮らすって言い出したとき、私、反対はしたんですけどね。でも、言い出したらきかない子ですから……」
「まあ、あの2人なら大丈夫ですよ」
僕は水割りのグラスをあおった。
「ところで葵さん」
「はあい?」
隣で飲んでいた葵さんが、とろんとした表情で答えた。
「賢一くんはどうしてるんです?」
「ああ、あの子、もう12歳だからね。親なんて留守のほうが喜んでるわよ」
そんなもんだろうか?
「それよりさ、ラルフか美鈴ちゃんに、チェス愛好会の名誉顧問になってほしいなあ」
「あの2人じゃ、ケタが違いすぎますよ」
「だから名誉顧問だってば。会報誌にほんのちょっと寄稿してくれればいいんだけど」
頑張りすぎない、というか、いい意味の放任主義で、賢一くんは健全に、たくましく成長しているようだ。結局のところ、子供がどうなるかは、親の人格しだいなのだな、と僕は思う。
それから1週間後、雑誌『ウィズダム』に、「チェスと私」という小さな記事が載った。
元世界チャンピオンのラルフへのインタビューを簡単にまとめたもので、記事の最後に、担当者の名前として「小池」とあった。
控えめな報道だったが、日本でのチェスへの関心度を考えると、まあこれくらいが適当なのだろう。「チェス・エイリアン」と呼ばれた美鈴のことも、世間はいずれ忘れる。そのほうが、あの2人にとってもいいのではないか。
約束どおり節度ある記事を書いてくれた芽衣に、僕は感謝した。
(つづく)