トロのエンジョイ! チャレンジライフ

「人生で重要なことはたった3つ。どれだけ愛したか。どれだけ優しかったか。どれだけ手放したか」ブッダ

連載小説「あなたの騎士(ナイト)になりたい」第8回

2018-06-15 19:03:28 | 小説・あなたの騎士(ナイト)になりたい
 美鈴は、父の木下礼治とともに、日本に来ていた。
 チェスのトッププレイヤーの生活というのは、試合、移動、準備……そのくり返しだそうだ。
 自分の時間などほとんど無いといっていい。まだ18歳の美鈴には、過酷なところもあったのだろう。せめて少しでも骨休めにと、木下は彼女を日本に連れて来た。
 1週間ほど滞在し、ディズニーランドにでも連れて行く予定だったそうだ。
 しかし、美鈴はホテルから姿を消した。
「とりあえず警察に捜索願は出したそうですが……」
 洋子さんが言った。
「私のところに来ているかもしれないと思ったようです。あの子に限ってそんなことはないと思うんですが」
 心配ではあったが、とりあえず僕らに出来ることは何もなかった。
「何か力になれることがあったら」
 と、僕らは連絡先を教え合って、帰宅することになった。

 1週間ほど経った。
 美鈴に関して、洋子さんからは何も言ってきてはいなかった。
 いまだに見つかっていないのだろうか。
 まさか、事件に巻き込まれたとか……。
 僕はあれから、美鈴のSNSを調べてみたが、現在の居所に関する情報は得られなかった。洋子さんの話では、クレジットカードを持っているはずなので、お金に困ることはないだろう、とのことだった。
 そして、その日の退社時間近くに、僕の携帯が鳴った。
 梓からだ。そういえば番号を教え合ったんだっけ。
「もしもし」
「あの……井上さん?」
「そうだよ。どうしたの?」
「姉が……あたしに連絡してきて」
 思わず立ち上がっていた。
「今どこにいるって? 姉さん」
「ビジネスホテルに泊まっているらしいです」
「そうか、無事なんだね?」
「はい」
 よかった……。
「これから姉と、会う約束なんですが……」
「うん」
「よければ一緒に来ていただけないでしょうか」
「え? 僕が?」
「なんか立会人が必要だとか……ごめんなさい、なに考えてるのか、よくわからない姉なもんですから」
 立会人? いったい何だというんだろう。

 待ち合わせ場所のファミレスに入ると、梓が僕を見つけ、立ち上がってお辞儀をした。
 向かいの席に座っているのが美鈴だろう。僕のほうを見もしなかった。
 なるほど、顔立ちはよく似ている。雰囲気はまったく違っていたが。
 ガラにもなく緊張している自分に気づいた。
 僕は、2人の脇の席に座った。
 美鈴はショートヘアを揺らして、僕のほうを向くと、
「この人が立会人? 頼りなさそうだけど大丈夫なの?」
「お姉ちゃん!」
 梓がとがめても、気にもとめていない様子だ。はっきり言ってムカついた。
「まあいいや、なにか食べよ。あたし、ペペロンチーノと生ビールね」
「生ビールはやめとくんだな。未成年が」
 僕は言った。美鈴が口を尖らせ、にらみつけてくる。
 エイリアンとまで言われたチェスのスーパープレイヤーだが、所詮はただの生意気な小娘だ。
 梓はオレンジジュース、僕はコーヒーを注文した。生ビールは当然、却下である。
 料理が運ばれてくる間、僕らは黙り込んでいたが、
「お姉ちゃん、話ってなに? どうして突然いなくなったりしたの?」
「はいはい。質問は一度に一つずつね」
 美鈴は、なにか食べようと自分から言ったわりには、たいして食欲もなさそうにペペロンチーノを口に運びながら、
「あの人たちに、伝えてほしいの」
「……お父さんとお母さんのこと?」
「そうに決まってるじゃない。いい? よく聴いててね、立会人さんも」
 なんか、馬鹿らしくなってきた。
「あたしは、もうチェスはやめます。あの人たちとも、もう関係ない」
「えっ……?」
「伝えることは、それだけ。梓、あんたともこれっきりね」
「そんな……お姉ちゃん!」
「わかった? 立会人さんも」
 そのとき、僕は黙っていればよかったのかもしれない。
「……にしろ」
 コーヒーをすすりながら言った。
「え?」
「勝手にしろ、と言ったんだよ」
 怒りと、失望が、僕を満たしていた。
「僕はもう帰る。なるほどな、トップがこんなやつじゃ、やっぱり日本はチェス後進国だな」
 梓は、明らかにうろたえていた。美鈴は、無言だった。言わずともよいセリフだったが、僕だって人間なのだ。
「僕も、チェスをやっている。君から見たら子供の遊びだろうがね。チェスの頂点を極めるには、ここまで人間として大切なものを捨てなきゃならないのかい。そう思ったら涙が出てきたよ」
 僕は席を立ち、テーブルに1万円札を叩きつけ、上着をはおった。
「君の言葉は、ご両親にそのまま伝える。立会人としての役目は果たすつもりだ。それじゃ」
 僕は、振り返りもせず店を出た。


(つづく)



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