「井上くん、やけ酒かい?」
「……違いますよっ」
葵さんは笑いながら、
「まーいいじゃないの。しょせん、生きてる世界が違うんだよ。それより、梓ちゃんもいいよー。あと2年もしたらすっごくいい女になるかも」
「そ、そんなことないですよ」
梓は顔を真っ赤にしていた。
尾崎マスターは、
「それで、美鈴ちゃんは、ほんとにチェスやめちゃうのかい?」
「たぶんね」
「もったいないね……十分チャンピオンを目指せる実力なのに」
「まあ、本人が決めることだからね」
僕はいつもより酔いが回って、少しぼーっとしていたが、葵さんは、どこか遠くを見るような眼をしていた。
「もう、8年になるんだなあ……」
「……」
「あの人が、余命半年だって宣告されて……毎日、病室にチェス盤を持ち込んで、対戦したっけ。死にそうな病人のくせに、こっちが手加減してやると怒るんだよ。チェスが好きな人だったから」
「そうだったね」
「そのうち駒を持つ力もなくなっちゃったけど、それでも口がきければチェスはできる、なんて言ってた。チェスがあの人の最期の支えだったんだね」
「チェスは、人を幸せにするのか、それとも洋子さんが言ったみたいに、人生を狂わす魔のゲームなのかな」
「それは、その人次第だよ、きっとね」
葵さんが言った。
「あたしは、チェスのおかげで幸せだよ。あっちの世界であの人に会ったら、またチェスやりたいもんだね。まあ、その時はこっちは婆さんで、とても勝てないかもしれないけどさ」
僕には、チェスを通じて、葵さんと亡くなった旦那さんが、繋がっているように思えた。
それから、約半年後……
「くたびれちゃった。もうやめようよ」
美鈴が大きな欠伸をしながら言った。
「ま、待て……待ってくれよ」
葵さんは、まだ粘っている。
美鈴のチェスの実力は、想像を絶するものだった。
本当に考えて打っているのかと思うほど早いのだが、攻撃も守りも、一分の隙もない。あれよあれよという間に、主導権を握られ、こちらの陣地は丸裸にされてしまう。
3人同時に美鈴と対戦したが、僕と坂口さんはあっという間にチェックメイトされてしまった。
もっとも美鈴は100人と対戦したこともあるのだから、実力の1割も発揮していないに違いない。
これが「エイリアン」の実力というわけか。
美鈴の恋人、ラルフは、賢一くんとトランプで遊んでいた。初めて会ったとき、日本語がうまいので驚いた。当然といえば当然なのだが。
梓は、みんなの様子をどこか嬉しそうに眺めている。
僕らは葵さんの部屋にいた。今日は日曜日。昼間にこうして集まるのは久しぶりだ。
「そういえば、木下名人は?」
僕は梓に訊いてみた。
「お父さんですか? まだ納得いかないみたいです。ラルフとも会おうとしません」
「頑固だねえ」
「そのうちあきらめると思います、きっと」
「そうそう、ちょっと訊きたいことが」
「なんですか?」
「どうして木下名人は、美鈴にお母さんの名字を名乗らせてるのかな? 自分がチェスを教えたんなら、木下美鈴、って名乗らせればいいと思うけど」
梓は首をかしげて、
「さあ……鳴神のほうが木下より強そうだからかな」
「そんなもんかな?」
「案外、お母さんとよりを戻したいのかも」
僕らは、顔を見合わせた。
そして2人のどちらからともなく、ぷっと吹き出し、大声で笑いあった。
(つづく)
「……違いますよっ」
葵さんは笑いながら、
「まーいいじゃないの。しょせん、生きてる世界が違うんだよ。それより、梓ちゃんもいいよー。あと2年もしたらすっごくいい女になるかも」
「そ、そんなことないですよ」
梓は顔を真っ赤にしていた。
尾崎マスターは、
「それで、美鈴ちゃんは、ほんとにチェスやめちゃうのかい?」
「たぶんね」
「もったいないね……十分チャンピオンを目指せる実力なのに」
「まあ、本人が決めることだからね」
僕はいつもより酔いが回って、少しぼーっとしていたが、葵さんは、どこか遠くを見るような眼をしていた。
「もう、8年になるんだなあ……」
「……」
「あの人が、余命半年だって宣告されて……毎日、病室にチェス盤を持ち込んで、対戦したっけ。死にそうな病人のくせに、こっちが手加減してやると怒るんだよ。チェスが好きな人だったから」
「そうだったね」
「そのうち駒を持つ力もなくなっちゃったけど、それでも口がきければチェスはできる、なんて言ってた。チェスがあの人の最期の支えだったんだね」
「チェスは、人を幸せにするのか、それとも洋子さんが言ったみたいに、人生を狂わす魔のゲームなのかな」
「それは、その人次第だよ、きっとね」
葵さんが言った。
「あたしは、チェスのおかげで幸せだよ。あっちの世界であの人に会ったら、またチェスやりたいもんだね。まあ、その時はこっちは婆さんで、とても勝てないかもしれないけどさ」
僕には、チェスを通じて、葵さんと亡くなった旦那さんが、繋がっているように思えた。
それから、約半年後……
「くたびれちゃった。もうやめようよ」
美鈴が大きな欠伸をしながら言った。
「ま、待て……待ってくれよ」
葵さんは、まだ粘っている。
美鈴のチェスの実力は、想像を絶するものだった。
本当に考えて打っているのかと思うほど早いのだが、攻撃も守りも、一分の隙もない。あれよあれよという間に、主導権を握られ、こちらの陣地は丸裸にされてしまう。
3人同時に美鈴と対戦したが、僕と坂口さんはあっという間にチェックメイトされてしまった。
もっとも美鈴は100人と対戦したこともあるのだから、実力の1割も発揮していないに違いない。
これが「エイリアン」の実力というわけか。
美鈴の恋人、ラルフは、賢一くんとトランプで遊んでいた。初めて会ったとき、日本語がうまいので驚いた。当然といえば当然なのだが。
梓は、みんなの様子をどこか嬉しそうに眺めている。
僕らは葵さんの部屋にいた。今日は日曜日。昼間にこうして集まるのは久しぶりだ。
「そういえば、木下名人は?」
僕は梓に訊いてみた。
「お父さんですか? まだ納得いかないみたいです。ラルフとも会おうとしません」
「頑固だねえ」
「そのうちあきらめると思います、きっと」
「そうそう、ちょっと訊きたいことが」
「なんですか?」
「どうして木下名人は、美鈴にお母さんの名字を名乗らせてるのかな? 自分がチェスを教えたんなら、木下美鈴、って名乗らせればいいと思うけど」
梓は首をかしげて、
「さあ……鳴神のほうが木下より強そうだからかな」
「そんなもんかな?」
「案外、お母さんとよりを戻したいのかも」
僕らは、顔を見合わせた。
そして2人のどちらからともなく、ぷっと吹き出し、大声で笑いあった。
(つづく)