やがて、約束の土曜日が来た。
3年ぶりに会う芽衣は、だいぶ印象が変わっていた。
長かった髪はショートになっていたし、以前、好んではいていた脚を見せつけるようなスカートではなく、グレーのタイトスカートに白のブラウスという、シンプルな服装だった。
僕は、いつも会社へ着ていくものよりは、ちょっといい背広を着ていった。元カノとはいえビジネスで会うのだから、それが当然と思ったのだ。
「なんか固いわねえ。もっとラフな格好のほうが、あなたらしいのに」
「そんなことはいいから、本題に入ろう」
芽衣は口を尖らせて、
「はいはい、つまんないの。久しぶりのデートなのに」
「何が訊きたいんだい?」
「まあその前に、なにか注文しましょうよ。ここのお薦めはね……」
手短に済ませたかったが、まあ、食事くらいはいいだろう。
「美鈴ちゃんとラルフは、どうしてチェスをやめちゃったのかしら」
芽衣は世間話のような口調で言った。
「お前が知りたいのはそこだろうと、うすうす察してはいたけどね。残念ながら僕も知らないんだよ」
「そっか……他の雑誌社が取材を申し込んだけど、断られたっていう話だもんね」
「個人的に親しい僕からなら、なんとかなると思ったんだろうけど、あいにくだったな」
「なんとか聞き出せないかしら」
「まあ並大抵のことじゃないだろうな。あの2人の頭脳では、普通の人間が馬鹿に見えるのかもしれない」
芽衣はミネラルウォーターを一口含んだ。
「あの2人、いま、一緒に暮らしてるの?」
「そうだよ」
「どこに住んでるの?」
「聞いてどうするんだよ」
「取材に行くわ」
「やめてくれないか、できれば」
「どうして?」
「あの2人は、どちらもあまり幸せな生い立ちとはいえない。チェスのためにあらゆるものを犠牲にしてきたんだから当然かもしれないが、そんな2人がようやく掴んだ幸せなんだ。そこへ土足で踏み込むようなことはしないでもらいたいんだ」
「……」
芽衣は黙り込んでしまった。
「でも、まあ……」
僕は言った。
「興味本位ではなく、ちゃんと人間どうしの礼儀をわきまえたうえで、話を聴きたいというなら、僕も協力しないこともない」
「取材ということは抜きで、ってこと?」
「そうだな」
「うーん……」
「出来ないのならあきらめるんだな」
芽衣は考え込んでいたが、
「わかった」
「……うん?」
「あたし、2人に会いたい。仕事じゃなくて、個人的に」
芽衣にしては珍しく、殊勝な態度を見せた。
大人になった、ということか。
芽衣と会ったその日の夜、僕は美鈴に電話をした。
「いいよー、受けるよ、取材」
美鈴の答は、意外なほどあっけらかんとしていた。
「いいのかい。マスコミ嫌いかと思っていたけど」
「井上さんのお友達なら、信用できるよ」
美鈴の性格からは、かつての跳ねっ返りの部分がなくなって、少々天然の入った気さくな少女になっていた。
ろくすっぽ敬語が使えないのが、玉にキズだが。
「ところで、どうだい? 田舎暮らしは」
「うん、快適だよ。ちょっと退屈だけど」
「木下名人はどうしているんだい」
「ラルフがたびたび連絡とってるけど、ダメね。最近は、会いたくないなら会いたくないで、もういいやって」
「そうか」
僕は苦笑した。
「じゃあ、取材オーケーってことで、伝えるよ」
「うん」
僕は芽衣に連絡をとった。
「よかった。さすがマサヒロ」
「僕とお前の2人だけで訪問しよう」
「マサヒロがいれば、スムーズに話が進むわね」
「他の報道関係者には、内密に頼むぞ」
「わかってるって」
そして、次の土曜日、僕と芽衣は新幹線に乗り込み、美鈴とラルフが住む山間の村へと向かった。
無人駅に降り立ち、徒歩で2人の家に向かう。
「へえ、なんにもないところねー」
芽衣が言った。都会育ちの彼女は確かに、少々場違いではあった。
季節は晩秋で、やや肌寒い。空気が澄んでいるだけに、けっこう寒さが身に響くが、慣れれば心地よいかもしれない。少なくとも、都会のビルの谷間を吹き抜ける風の冷たさに比べれば、数段マシだろう。
雪は降るのだろうか、と、豪雪地帯で生まれた僕は考えていた。
「ああ、あの家だ」
梓にもらった地図を頼りに、僕らは2人の家にたどり着いた。
(つづく)
3年ぶりに会う芽衣は、だいぶ印象が変わっていた。
長かった髪はショートになっていたし、以前、好んではいていた脚を見せつけるようなスカートではなく、グレーのタイトスカートに白のブラウスという、シンプルな服装だった。
僕は、いつも会社へ着ていくものよりは、ちょっといい背広を着ていった。元カノとはいえビジネスで会うのだから、それが当然と思ったのだ。
「なんか固いわねえ。もっとラフな格好のほうが、あなたらしいのに」
「そんなことはいいから、本題に入ろう」
芽衣は口を尖らせて、
「はいはい、つまんないの。久しぶりのデートなのに」
「何が訊きたいんだい?」
「まあその前に、なにか注文しましょうよ。ここのお薦めはね……」
手短に済ませたかったが、まあ、食事くらいはいいだろう。
「美鈴ちゃんとラルフは、どうしてチェスをやめちゃったのかしら」
芽衣は世間話のような口調で言った。
「お前が知りたいのはそこだろうと、うすうす察してはいたけどね。残念ながら僕も知らないんだよ」
「そっか……他の雑誌社が取材を申し込んだけど、断られたっていう話だもんね」
「個人的に親しい僕からなら、なんとかなると思ったんだろうけど、あいにくだったな」
「なんとか聞き出せないかしら」
「まあ並大抵のことじゃないだろうな。あの2人の頭脳では、普通の人間が馬鹿に見えるのかもしれない」
芽衣はミネラルウォーターを一口含んだ。
「あの2人、いま、一緒に暮らしてるの?」
「そうだよ」
「どこに住んでるの?」
「聞いてどうするんだよ」
「取材に行くわ」
「やめてくれないか、できれば」
「どうして?」
「あの2人は、どちらもあまり幸せな生い立ちとはいえない。チェスのためにあらゆるものを犠牲にしてきたんだから当然かもしれないが、そんな2人がようやく掴んだ幸せなんだ。そこへ土足で踏み込むようなことはしないでもらいたいんだ」
「……」
芽衣は黙り込んでしまった。
「でも、まあ……」
僕は言った。
「興味本位ではなく、ちゃんと人間どうしの礼儀をわきまえたうえで、話を聴きたいというなら、僕も協力しないこともない」
「取材ということは抜きで、ってこと?」
「そうだな」
「うーん……」
「出来ないのならあきらめるんだな」
芽衣は考え込んでいたが、
「わかった」
「……うん?」
「あたし、2人に会いたい。仕事じゃなくて、個人的に」
芽衣にしては珍しく、殊勝な態度を見せた。
大人になった、ということか。
芽衣と会ったその日の夜、僕は美鈴に電話をした。
「いいよー、受けるよ、取材」
美鈴の答は、意外なほどあっけらかんとしていた。
「いいのかい。マスコミ嫌いかと思っていたけど」
「井上さんのお友達なら、信用できるよ」
美鈴の性格からは、かつての跳ねっ返りの部分がなくなって、少々天然の入った気さくな少女になっていた。
ろくすっぽ敬語が使えないのが、玉にキズだが。
「ところで、どうだい? 田舎暮らしは」
「うん、快適だよ。ちょっと退屈だけど」
「木下名人はどうしているんだい」
「ラルフがたびたび連絡とってるけど、ダメね。最近は、会いたくないなら会いたくないで、もういいやって」
「そうか」
僕は苦笑した。
「じゃあ、取材オーケーってことで、伝えるよ」
「うん」
僕は芽衣に連絡をとった。
「よかった。さすがマサヒロ」
「僕とお前の2人だけで訪問しよう」
「マサヒロがいれば、スムーズに話が進むわね」
「他の報道関係者には、内密に頼むぞ」
「わかってるって」
そして、次の土曜日、僕と芽衣は新幹線に乗り込み、美鈴とラルフが住む山間の村へと向かった。
無人駅に降り立ち、徒歩で2人の家に向かう。
「へえ、なんにもないところねー」
芽衣が言った。都会育ちの彼女は確かに、少々場違いではあった。
季節は晩秋で、やや肌寒い。空気が澄んでいるだけに、けっこう寒さが身に響くが、慣れれば心地よいかもしれない。少なくとも、都会のビルの谷間を吹き抜ける風の冷たさに比べれば、数段マシだろう。
雪は降るのだろうか、と、豪雪地帯で生まれた僕は考えていた。
「ああ、あの家だ」
梓にもらった地図を頼りに、僕らは2人の家にたどり着いた。
(つづく)