昨日天気が良かったので妻とお出かけ。
行ったのは愛知県半田市。
まず行ったのは「半田赤レンガ建物」。
半田赤レンガ建物とは?(公式HPより引用)
半田赤レンガ建物は、1898年(明治31年)にカブトビールの製造工場として誕生しました。時は日本のビール黎明期。
地方都市・半田から一流ブランドを目指し、果敢に大手ビールメーカーに挑んだ起業家たちの精神を今に伝えています。
だそう。




赤レンガでできた良い雰囲気の建物。


戦争中に米軍の機銃掃射を受けた跡もあった。


5重の複壁で温度変化が少ない工夫もされていたらしい。
見学後に向かったのは「新見南吉記念館」。
新見南吉記念館とは?(公式HPより引用)
芝生で覆われた、波打つ屋根のシルエット――新美南吉記念館を訪れるお客様は、まずそのユニークな外観に驚きます。この設計は、半田市と(社)愛知建築士会の主催による全国コンペで選ばれたものです。421点もの応募作品の中から、新家良浩建築工房による半地下式の案が最優秀賞に輝きました。この一見奇抜な設計は、周囲の地形と連続することで、南吉が童話に描いた知多半田の自然・風景と調和することを目指しているのです。
その自然・風景の一つが、記念館に隣接する「童話の森」です。現在遊歩道として整備されているその場所は、童話「ごんぎつね」に登場する中山さまの城跡と言い伝えられてきた場所であり、南吉文学に描かれた里山の自然に触れられる森として、市民の方に愛されています。ご来館の際には、ぜひ一度歩いてみてください。
そして館内には、常設展示室・図書閲覧室・会議室・工作室・カフェ&ショップなどの利用スペースと、事務室・収蔵庫などのバックスペースがあります。利用スペースではお客様が南吉文学の世界に触れるお手伝いをし、バックスペースでは南吉が遺した貴重な資料を次代に伝えるため、整理・保存に努めています。
だそう。



中にはいろんな展示が。



教科書の「ごんぎつね」で有名な新見南吉。
最後は若くして結核でなくなったらしい。
私も学生時代に結核を患った経験があるが、今は優れた薬のおかげで完治した。
いろんな物語や詩を残した才能が結核で失われたことは非常に残念だし、コロナ時代の今同じような感染症の経験がこれからの社会に生かされることを記念して止まないめぐなのでした。
明日につづく。
行ったのは愛知県半田市。
まず行ったのは「半田赤レンガ建物」。
半田赤レンガ建物とは?(公式HPより引用)
半田赤レンガ建物は、1898年(明治31年)にカブトビールの製造工場として誕生しました。時は日本のビール黎明期。
地方都市・半田から一流ブランドを目指し、果敢に大手ビールメーカーに挑んだ起業家たちの精神を今に伝えています。
だそう。




赤レンガでできた良い雰囲気の建物。


戦争中に米軍の機銃掃射を受けた跡もあった。


5重の複壁で温度変化が少ない工夫もされていたらしい。
見学後に向かったのは「新見南吉記念館」。
新見南吉記念館とは?(公式HPより引用)
芝生で覆われた、波打つ屋根のシルエット――新美南吉記念館を訪れるお客様は、まずそのユニークな外観に驚きます。この設計は、半田市と(社)愛知建築士会の主催による全国コンペで選ばれたものです。421点もの応募作品の中から、新家良浩建築工房による半地下式の案が最優秀賞に輝きました。この一見奇抜な設計は、周囲の地形と連続することで、南吉が童話に描いた知多半田の自然・風景と調和することを目指しているのです。
その自然・風景の一つが、記念館に隣接する「童話の森」です。現在遊歩道として整備されているその場所は、童話「ごんぎつね」に登場する中山さまの城跡と言い伝えられてきた場所であり、南吉文学に描かれた里山の自然に触れられる森として、市民の方に愛されています。ご来館の際には、ぜひ一度歩いてみてください。
そして館内には、常設展示室・図書閲覧室・会議室・工作室・カフェ&ショップなどの利用スペースと、事務室・収蔵庫などのバックスペースがあります。利用スペースではお客様が南吉文学の世界に触れるお手伝いをし、バックスペースでは南吉が遺した貴重な資料を次代に伝えるため、整理・保存に努めています。
だそう。



中にはいろんな展示が。



教科書の「ごんぎつね」で有名な新見南吉。
最後は若くして結核でなくなったらしい。
私も学生時代に結核を患った経験があるが、今は優れた薬のおかげで完治した。
いろんな物語や詩を残した才能が結核で失われたことは非常に残念だし、コロナ時代の今同じような感染症の経験がこれからの社会に生かされることを記念して止まないめぐなのでした。
明日につづく。