落合恵子の私の半生が夕刊に12回連載していたので、読んでいた。
この壁紙がレモンなのは、そのせいではないが、レモンちゃんと呼ばれていたね。
若い方は、表参道のクレヨンハウス主催者として知っているかな?
71歳。
俗に言う私生児、と言うことは知っていたが、苦労は始めて読んだ。
母は22歳で敗戦の年、未婚で落合恵子を産んだ。
まず、当時のこの決意がすごい!
そうそうはできないことだ。
その、母は宇都宮の実家から差別を避け、上京した。
母は七歳で父を亡くしている。落合の祖父のあたる人。
四人の長女で下の子の面倒見て、期待もされていたが、未婚出産で、家から出た。
中野の小さいアパートで母子2人の生活。
小学校一年生、母を夜まで一人で待つ。
事務と掃除婦をしていた。友人に知られたくなくて、
掃除婦はやめて、というと仕事場へ連れて行かれ、
「事務はいいのに、これはダメとは~」
差別はいけないことを教えられた。
強い母娘だったと、読んでいて感じた。
今でも未婚の母は偏見もある。
今から、九十年以上前、どれほどだったろう。
その後、東京に実家の祖母達が来て一緒に暮らすようになる。
中高一貫校へ。
公立は戸籍の提出があり、そうでない学校を探して来てそこへ入る。
小学生四年の時、母は神経症にかかったとある。
朝起きられず寝ている。今なら、鬱病あたりか?
上京し苦労し一人で育てた疲れが出たと感じた。
母は15の時、未婚で産んだ理由を話す。
大好きな人の子供、欲しかったと。
聞いて、産んでくれてよかったと感じたと。
精神系の病気になった母、自分は未婚での子供、母も強かったが、
落合恵子もさらに、驚くほど、強い女性だと思う。
高校は退屈で息苦しく、退学を考えたが、母と話し受験し、明治大学へ。
祖母もいたので、進学が経済的にも何とかなったのだろうか。
当時、女性が大学へは少ない時代、母も病んでいたが、進学できた。
67年、TBSのアナウンサーになり、深夜番組にでて、
レモンちゃんの愛称で人気者に!
この愛称、パーティも嫌いだったとある。
母を見ていて、女が働くことが大変、
当時の大卒女性は仕事はなかったので、出版社希望が落ちアナウンサーへ。
神経症になった母。落合も華やかな中で声が出なくなり、心因性と診断され
治ったり戻ったり。
退社し76年にクレヨンハウスをオープン。
三十くらいで、本屋さんとなる。
原発反対、反戦デモに力を入れている。
クレヨンハウスの取り組みも、
レストラン、有機野菜を売るなど本屋だけではない広がっていく。
84年には小説も出版している。
初めて知るエピソード満載の連載だった。
未婚の母と戦後すぐの東京で母子家庭としてくらす。
これだけでも、大変なこと。
中野のアパートには水商売の女性が多く、
母が昼はいないので、おやつをもらったり、可愛がられたエピソードもあった。
普通経験しない経験をしている人。
脱原発を唱える団体の呼びかけ人に名を出すと、
嫌なメール、電話が続いたとある。
クレヨンハウスには子供たちが多数くるので、
何かあるとと、とても怖く悩んだとある。
小さい頃から、苦労、差別、偏見を見てきたので、乗り越えられたのだと感じた。
特にファンではないが、クレヨンハウスは好きで何回も行っている。
七十代、この強さはどこから来るのか?
聞いてみたいな~。
著書は100冊以上、訳書もかなりあり、びっくり。
児童書の訳も多い。
婚外子だったが父は議員だったことが出ていた。
議員相手で、認知しない妊娠、昔ならよくあることかもしれない。
政治系への道は、父の血を受け継いでいるのかな~
これからもお元気で
この壁紙がレモンなのは、そのせいではないが、レモンちゃんと呼ばれていたね。
若い方は、表参道のクレヨンハウス主催者として知っているかな?
71歳。
俗に言う私生児、と言うことは知っていたが、苦労は始めて読んだ。
母は22歳で敗戦の年、未婚で落合恵子を産んだ。
まず、当時のこの決意がすごい!
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そうそうはできないことだ。
その、母は宇都宮の実家から差別を避け、上京した。
母は七歳で父を亡くしている。落合の祖父のあたる人。
四人の長女で下の子の面倒見て、期待もされていたが、未婚出産で、家から出た。
中野の小さいアパートで母子2人の生活。
小学校一年生、母を夜まで一人で待つ。
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事務と掃除婦をしていた。友人に知られたくなくて、
掃除婦はやめて、というと仕事場へ連れて行かれ、
「事務はいいのに、これはダメとは~」
差別はいけないことを教えられた。
強い母娘だったと、読んでいて感じた。
今でも未婚の母は偏見もある。
今から、九十年以上前、どれほどだったろう。
その後、東京に実家の祖母達が来て一緒に暮らすようになる。
中高一貫校へ。
公立は戸籍の提出があり、そうでない学校を探して来てそこへ入る。
小学生四年の時、母は神経症にかかったとある。
朝起きられず寝ている。今なら、鬱病あたりか?
上京し苦労し一人で育てた疲れが出たと感じた。
母は15の時、未婚で産んだ理由を話す。
大好きな人の子供、欲しかったと。
聞いて、産んでくれてよかったと感じたと。
精神系の病気になった母、自分は未婚での子供、母も強かったが、
落合恵子もさらに、驚くほど、強い女性だと思う。
高校は退屈で息苦しく、退学を考えたが、母と話し受験し、明治大学へ。
祖母もいたので、進学が経済的にも何とかなったのだろうか。
当時、女性が大学へは少ない時代、母も病んでいたが、進学できた。
67年、TBSのアナウンサーになり、深夜番組にでて、
レモンちゃんの愛称で人気者に!
この愛称、パーティも嫌いだったとある。
母を見ていて、女が働くことが大変、
当時の大卒女性は仕事はなかったので、出版社希望が落ちアナウンサーへ。
神経症になった母。落合も華やかな中で声が出なくなり、心因性と診断され
治ったり戻ったり。
退社し76年にクレヨンハウスをオープン。
三十くらいで、本屋さんとなる。
原発反対、反戦デモに力を入れている。
クレヨンハウスの取り組みも、
レストラン、有機野菜を売るなど本屋だけではない広がっていく。
84年には小説も出版している。
初めて知るエピソード満載の連載だった。
未婚の母と戦後すぐの東京で母子家庭としてくらす。
これだけでも、大変なこと。
中野のアパートには水商売の女性が多く、
母が昼はいないので、おやつをもらったり、可愛がられたエピソードもあった。
普通経験しない経験をしている人。
脱原発を唱える団体の呼びかけ人に名を出すと、
嫌なメール、電話が続いたとある。
クレヨンハウスには子供たちが多数くるので、
何かあるとと、とても怖く悩んだとある。
小さい頃から、苦労、差別、偏見を見てきたので、乗り越えられたのだと感じた。
特にファンではないが、クレヨンハウスは好きで何回も行っている。
七十代、この強さはどこから来るのか?
聞いてみたいな~。
著書は100冊以上、訳書もかなりあり、びっくり。
児童書の訳も多い。
婚外子だったが父は議員だったことが出ていた。
議員相手で、認知しない妊娠、昔ならよくあることかもしれない。
政治系への道は、父の血を受け継いでいるのかな~
これからもお元気で
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