私はSFに対する理解力がどれほどなのか自分自身で解っていない。
”はーどえすえふ”という分野があるらしいが、どれがそうなのかも
解らない。
そのなかでイーガン。現在訳されているものはおそらく全部読んだろう。
友人はこれは”ハードSF”だというが、私にはちっともそう思えない。
あ、カテゴリが解っていないだけかも。
ただ、言えることは自分とは、意識とは、自我とは何かという事を書いている
作家だということ。
自分の脳内のすべてをコンピュータに移植したらどう感じるのか。その時点で
”私”は私足り得るか。
このあたりの追求と思考がとても面白い。
今やとんでも系のロジャー・ペンローズが提唱する、マイクロチューブルによる
量子的ジャンプが意識を創出すると言う話や、量子コンピュータ、
万物理論など、その多岐に渡る言及はとても惹き寄せられる。
そして、ゲーデルの「不完全性定理」を下敷きにした人間の知の限界点と
意識の創出についての話など、面白すぎる。
万物理論のおける逆説的な宇宙創生物語は途中でオチが解りつつもおお!
面白いと思った。まさか、ここで強い人間原理を出してくる作家がいるとは!
(単に私が無知なだけだが)
こういった周辺事情よりもやはり意識とは、私とは何か、と言う問題が
とても興奮する。コンピュータに移植した後の私は私なのか。
私自身の感覚的答えはノーだ。
”はーどえすえふ”という分野があるらしいが、どれがそうなのかも
解らない。
そのなかでイーガン。現在訳されているものはおそらく全部読んだろう。
友人はこれは”ハードSF”だというが、私にはちっともそう思えない。
あ、カテゴリが解っていないだけかも。
ただ、言えることは自分とは、意識とは、自我とは何かという事を書いている
作家だということ。
自分の脳内のすべてをコンピュータに移植したらどう感じるのか。その時点で
”私”は私足り得るか。
このあたりの追求と思考がとても面白い。
今やとんでも系のロジャー・ペンローズが提唱する、マイクロチューブルによる
量子的ジャンプが意識を創出すると言う話や、量子コンピュータ、
万物理論など、その多岐に渡る言及はとても惹き寄せられる。
そして、ゲーデルの「不完全性定理」を下敷きにした人間の知の限界点と
意識の創出についての話など、面白すぎる。
万物理論のおける逆説的な宇宙創生物語は途中でオチが解りつつもおお!
面白いと思った。まさか、ここで強い人間原理を出してくる作家がいるとは!
(単に私が無知なだけだが)
こういった周辺事情よりもやはり意識とは、私とは何か、と言う問題が
とても興奮する。コンピュータに移植した後の私は私なのか。
私自身の感覚的答えはノーだ。
シュヴァンクマイエルのあたりでコメントをしようか迷っていたのですが、ついにイーガンまで出てきてしまったので、コメントせずにいられなくなりました。
私もイーガンは確かにハードSFだけれども、「ハードS」でない部分にもしっかり軸足のある作家だと思います。
コンピュータに移植後の私、私は感覚的にイエスです。(面白そうという理由ですが)
ときどきお邪魔するかも知れませんがよろしくお願いしますm(_ _)m
めるつばう/akiと申します。
どうぞよろしくお願いします。
>私は感覚的にイエスです。
コンピュータ移植後の私は以前の私と連続しているか、
と言う部分ですね。
前野隆司によればそれ自体無意味な問題のようですが。
シュバンクマイエルの「ルナシー」が気になって仕方が
ないです。是非みたい。
さて、読んでもいないけどコメントします。
>コンピュータに移植した後の私は・・。
コンピューターとは、HDですかそれとも、CPU?
ちなみに、車を運転するときに使うナビですが、すでに記憶力も回転も私を数段上回っており、軽い自己喪失と新しい私の誕生を覚えます。
意味合いとしてはOSでしょうか。
アルゴリズムごと移植するのですから。
もしくは”人間”OS上に乗せる、アプリかな?
>軽い自己喪失と新しい私の誕生を覚えます。
おお!もしかしてナビとの融合?
すでに車と身体が一体化していたりするのでしょうか?
被支配ですね。車に運転をさせられているのです。私が車に取り込まれているのです。
ナビにバカにされているという表現方法もあります。
ドーキンスの”DNAは人間という車にに乗って時間を旅している”
というあれを思い出しました。
その逆ですね。
musignyさんは車にとっては不可欠だけれど、
その存在は車に認識されていない。
なのかしらん??