イーガン。この作品には激しく同意と反発を感じてしまった。
何度かわたしが言及している前野の受動意識仮説。
ここへの考えを導かれている気がする。 . . . 本文を読む
私が”私”であるという一番の起点は脳になるだろう。
皮膚を移植しても心臓を誰かのものと交換しても
私は"私”である。(しかし、他者の臓器を移植されたとき
その他者の記憶が流入すると言う話もあるが。
※ペンローズの言うマイクロチューブルに量子的な
意識の座があるとすれば、それ自体ありえる話ではある。)
そこの部分では脳は交換してしまったら自分ではなくなる。
だが、免疫系で考えると自己と非自己は違う . . . 本文を読む
最近この当たりを読んでいる。
日本に置いてはこの二つは同時に一人の人間に中に存在しないことになっているらしい。
実際はどうなんだろう?
このスペクトラムの中で、自分が”健常”ではないと強く感じる。
絶対値が無い世界。
だからといって、一応社会生活は送れているわけで、大きな問題は無い?
そのあたりに自信がない。
さすがに、自分に背中がない(見えないから)とは思わないし
学校の友人達は学校の付属物 . . . 本文を読む