「順列都市」「ボーダー・ガード」でなかなか読み切れなくて
イメージが結像しなくて苦しんでいたことを思い出した。
やはり、量子力学は最大の難関と言えるだろう。
最初の意識の発生・自我の獲得部分はなんとか乗り越えたのだけど
ワームホールを造るために出てくるまだ存在しない理論はもうさっぱり。
以前「タイムマシンを作ろう!」で私はとても長いヒモをぶんぶんと回すと
出来るというあたりで挫折した。
さて、 . . . 本文を読む
なぜ自死してはいけないのか。
なぜ、他人を殺してはいけないのか。
人の命は等しく大切なんて事はないのに。
虚数時間から出現したこの宇宙。
また、虚へと還る事が約束されているのに。
マルチユニバースのように多重化された
意識の干渉波で出来た格子縞でしかない自分を
いくら考えても実存性が無い。
存在してもしなくても質量に変化はない。
生きることに目的はない。
いくら欲してもこの肌以上にあなたを受け . . . 本文を読む
通勤電車が多摩川を渡るときにはるか丹沢から富士、
うまくいけば、奥多摩までを見渡すことが出来る
先日の雪。
いつも、ここを通るときには本から目を上げて
景色を見る。
丹沢の山肌には雪がついている。山頂は白い。
行きたい。あの場所へ行きたい。
そういう衝動に駆られる。
あの高さが欲しい。
最後のカーブに差し掛かるときが
一番富士がきちんと見える。
そして、山は姿を消す。
そして私は本へと目を落 . . . 本文を読む
惹句に惹かれて読んでしまった。
惹句には「松浦・笙野絶賛」・・・。
馴染みにくかった。世界が伸び縮みする。
12の部屋は12の世界で、屹立する灯台はペニス?
そのすべてを飲み込むのは女性であり、無数の膣をもつ。
炬燵があるような四畳半のようでいて、民が移動するほどの
広さを持つ部屋たち。
”ヨ定”されたすべて。
”物語”により規定された人。
だがしかし、マルチユニバースだってあろう?と思うけれど . . . 本文を読む
夢枕獏/岡野玲子
夢枕はあんまり好きな作家じゃない。
伝奇もの?というのが売り?かな??
しかし「神々の頂」は凄いと思った。森田勝この登山家を
モチーフに書かれていることはか間違いないだろう。
あまりに孤高。あまりに凄絶。そして、あまりに知られていない。
そんな登山家だ。
岡野玲子はその特異なセンスで注目していた。
この二人が組むとは思いもしなかった。
マンガはおそらく原作を越えている。
途中で . . . 本文を読む
今日から正式な展覧会オープンだが、昨日内覧会の招待状をもらい見に行った。
黒の深さ。生物を描きながらも無機的である。
それは昇華され、ひとつの版画の中に収まったとき、固定化していくからだろうか。
まるで化石のような。しかし、その中で、画面のなかで黒だけが息づいている。
ひっそりと。しかし確かに。
ジャイロスコープのピンと張った直線が画面を分ける。
その線の緊張感すらも無機化して還元されていく。
. . . 本文を読む
行きたくなった。町田だからそれほど遠くない。
白洲次郎・正子が住んでいたという、この家は
白洲次郎の矜持なのだろう。あえてこの地。
町田はなかなか行くことがない。
丹沢へ行くときの通過する程度。
でも一度は立ち寄ってみたい。
まあなんと言っても白州次郎がかっこいいから。 . . . 本文を読む
石田衣良。この人の小説も初めて読んだ。
二十歳の大学生がセックスを売ると言う話。
愛欲ドロドロかというとそんなことはなく、淡々と話が進む。
最初の場面と終章間際が繋がってくるとは思わなかったが
この話がどこかもの悲しいのは、主人公の立ち位置か。
誰にでもおそらくあるのだろう、自分はここではないという感覚。
本来の居場所はここではない。
だからといって希求する場所がどこであるかは解らない。
だから . . . 本文を読む
今更ながらに、「インストール」を読んだ。
なんだか巨大ロボットに乗り込むみたい。
”合体!!インストールゥゥゥウゥゥ”
※ルゥはフラ語のR発音でお願いします。ほんとはLだけど。
本編とは全く関係ないけれど、こんな感じがして
たまらない。
チャットというものはほんの少ししかしたことがない。
すでに会ったことのある人と暇なときにお話しするくらい。
しかし、文字という世界で進めていくコミュニケーション . . . 本文を読む
イヴ・エンスラー。これはブロードウェイでも上演され話題になった演劇だ。
”ヴァギナ”人はその名前を口にするということをしない。
しかしながら確かに自分の中にあり、それは自分自身であり、それ以外の
何者でもない。そう言った意味でのこの物語は、挑戦的でもあり復権的でもある。
女性ならば必ずと言っていいくらい通らねばならない生理のことや、性器それ自体に
にまつわる意識の問題を現代という時代はひた隠してい . . . 本文を読む
私の疑問。私は私であるのか。
ゲーデルの定理は自己言及に当たり否定も肯定も出来ないと言う限界を示す。
それでも、私は私なのだという感覚は、無矛盾の理論を積み上げて出来ることではない。
その上位の精神があって初めて私は私であると認めることが出来る。
そして、AI。
AIは人間が積み上げた理論の上にしかない。したがってゲーデルが示した限界点を
必ず持ってしまう。ということは”我思う故に我あり”と言える . . . 本文を読む
某所にも書いたがゲーデルをここ数年なんとか理解しようとして挫折している。
私が面白いと思うのは、
第1不完全性定理は「いかなる論理体系において、その論理体系によって作られる論理式のなかには、証明する事も反証することもできないものが存在する。」
第2不完全性定理は「いかなる論理体系でも無矛盾であるとき、その無矛盾性をその体系の公理系だけでは証明できない」
拡大解釈していけば、自己言及のパラドッ . . . 本文を読む