花見といってもだいたいは花をあんまり見ていないと思う。
それ以前に花を(またはその他のなにかでも)見ても
見たときに"花である”と言う風に言語化・抽象化してしまった後は
花それ自体を見ていないことになるだろう。
昨今言われているクオリアの問題にも繋がっていきそうだけれど。
そして花を見る。花の形状、色、質感、なによりも存在感。
花はそれ自体で存在する。はず。わたしの存在に依存したりするんだろうか。
または。わたしの存在が花に依存するのかな。
曇り空、雨の中花を見上げてみるとただのグレーのに見えているけれど
ディーテールは面白い。その、花を見て「わーきれい!」っていう感想は
どこから湧き上がるのだろう。でもきれいだなとはわたしでも思う。
もうすこし考えたいなと思っていたけれど、寒さに負けてしまった。
それ以前に花を(またはその他のなにかでも)見ても
見たときに"花である”と言う風に言語化・抽象化してしまった後は
花それ自体を見ていないことになるだろう。
昨今言われているクオリアの問題にも繋がっていきそうだけれど。
そして花を見る。花の形状、色、質感、なによりも存在感。
花はそれ自体で存在する。はず。わたしの存在に依存したりするんだろうか。
または。わたしの存在が花に依存するのかな。
曇り空、雨の中花を見上げてみるとただのグレーのに見えているけれど
ディーテールは面白い。その、花を見て「わーきれい!」っていう感想は
どこから湧き上がるのだろう。でもきれいだなとはわたしでも思う。
もうすこし考えたいなと思っていたけれど、寒さに負けてしまった。