鎌倉・鶴岡八幡宮へ続く若宮大路・段葛を進むと、「さぁ、これから八幡宮の境内に入るぞ」というところに交差点があって、車道はT字になっている。
その右に行った先に「宝戒寺」がある。
宝戒寺は、交差点からほぼ東の位置にある。
交差点から宝戒寺に向かう道筋の、南(右)側に若宮大路幕府が、北(左)側に政所(まんどころ)があった。
若宮大路幕府は、頼朝が屋敷を構えていた大蔵幕府(清泉小学校の辺り)が、実朝が暗殺され、政子が没したのち、宇都宮辻子幕府に移転し、その11年後、再度移転したもので、北条氏滅亡の1333年まであった。
政所は、鎌倉幕府の政務・財政を行った役所のこと。
そして、宝戒寺には、執権職として、鎌倉幕府の権力を掌握した北条氏の屋敷があったところにある。
平城京にしても、平安京にしても、天皇のいる御所を中心(奥)として、左右に都城が形成されているのに対し、鎌倉幕府の場合、御所にあたる位置に鶴岡八幡宮を配して、武家の都をつくったかのように見える。
しかし、実質的権力者の執権屋敷を御所になぞらえると、その配置の妙が伺われ、有力御家人を次々に滅亡させたのは、隣の芝生を羨んだり、ご近所の噂に一喜一憂したり、音がうるさいとかいって殺人に至る現代社会と、相通じるものがあるようで興味深い。
本堂へ入ろうとして、なんとなくシャッターを押した。
ファインダーには単なる日射しにしか見えなかったが、パソコンで確かめると、久しぶりに白いオーブが写り込んでいる。
かがり火により、境内が煙っていたせいもあろうし、差し込む光の角度もあるけれど、いわゆる「玉響(たまゆら)」というものだと私は思っている。
カメラ歴は、高校の銀塩時代から40年近いが、デジカメになり、現像料などの写真にかかる費用を気にしなくなってから、気の向くままにシャッターを切る。
ほとんど洞窟や寺社などを無意味に撮影すると、肉眼では全く見えず、同じ条件で撮影しているはずなのに、必ずオーブが写り込むものと、まったく写らないものがあることに気がついた。
例えば、防空壕のような洞窟でも、オーブが写り込んだ場所を、文献で調べてみると必ず古墳だったりするから、それが私にとって、玉響と信じるきっかけとなった。
ここ宝戒寺は、鎌倉・北条氏の屋敷跡にある。
そう鎌倉幕府執権・北条高時が新田義貞に討たれ、北条氏が滅亡したときの屋敷である。
それも建武の新政を興した後醍醐天皇が、滅亡した北条氏の霊を慰めるため、足利尊氏に命じて創建した寺だという。
その縁起を物語る宝筐院塔も境内に建っている。
その傍らには、梵字であらわした薬師如来の石塔も建っている。
太平記などでは暴君とされる北条高時は、病弱だったといわれているから、持仏は薬師如来だったのかもしれない。
本堂内には、本尊の地蔵菩薩のほか、毘沙門天、不動明王、観世音、閻魔王などの像や軸が、これでもかというほどある。
そして、境内には、2世住持・惟賢和上が国家鎮護のため、造立した歓喜天(秘仏)を収めた歓喜天堂が建つ。
その隣には、“徳崇大権現”という社が建っている。
中には、北条氏最後の執権・高時の木造が祀られている。
「徳崇」を逆にすると「崇徳」である。
あの怨霊伝説に名高い「崇徳天皇」の字をいただいていることに、何か関連性があるのだろうか?
その隣には、聖徳太子堂が建っている。
宝戒寺縁起に、天文7(1538)年、このときの国府台合戦(小田原・後北条氏と里見氏の争い)に関連しているのかどうかわからないが、宝戒寺は、ことごとく焼失したとある。
江戸に入国し、関八州を治めることになった徳川家康に重用された天海の懇願により寺が再興される。
天海は、徳川三代に仕え、陰陽道や風水に基づく江戸の都市計画に関与した人物といわれている。
乱を起こし、関八州を掌中にし、「親皇」を称した平将門の荒ぶる神を、江戸城の守りに利用したことを考えると、関八州武家政権の根拠地として重要視された鎌倉を守る神として、“徳崇大権現”が祀られる道理が見えてくる。
しかし、江戸幕府が安定するにつれ、武家政権の根拠地として重要視された鎌倉が、一地方都市として寂れていくことになるのは歴史の皮肉ともいえよう。
まぁ、とにかく、ここで休憩。
藤沢駅で江ノ電に乗る前に買った「江の島・うなむすび 400円」を食べる。
冷めても美味い。
拝観料を納めると、必ず「鐘を撞いていただいて・・・」と、ひとこと添えられる。
さすがに、無念の内に自刃した北条高時とその郎党を弔うための寺だけに、供養のための梵鐘を鳴らすのである。
宝戒寺から200mほど奥まった背後の山にある北条家の菩提寺・東勝寺において、31歳の生涯を閉じた高時の霊に鐘声なら届くはずだからだ。
3> 宝戒寺「毘沙門天」ご朱印
良い場所ですね。
白い萩が好きです。
中学生の頃から鎌倉を徘徊していた歴史オタクでしたが、カミさんが寺や墓が苦手なため、結婚してからトンとご無沙汰。
この歳になって、やっと七福神巡りなどに付き合ってくれます。
ずいぶん、観光客も増えましたが、鎌倉は四季折々見所があります。
ガイドブックを参考に、住宅地図等で小さな寺や神社へ行くと面白さも倍増。
もうすぐ新緑の季節を迎えます。木々で景色が遮られる前に天園ハイキングがおすすめ、百八やぐらは圧巻です。