2月になっても、一向に雨も雪も降らない。
おだやかな「立春」を迎えた。
さすがに立春は、旧正月にあたり、
我が家の鉢植えの梅もほころび、花を咲かせた。
とはいえ、鳥インフルエンザが猛威をふるって、
養鶏農家を困らせている上に、
人インフルエンザも、人と型を変えながら、
会社や学校で流行らせるのをやめない。
そんなことを考えながら歩いていると、
木もマスクをしている(注:一部画像修正しています)。
「木インフルエンザ?」
なのかと、勘違いした。
お昼どき、山下公園を歩いていると、
ベンチに老夫婦がいた。
日だまりに、サンドイッチとコーヒーを楽しんでいる。
お二人の首にさげたナフキンが、
どんな年齢になっても「恋するまち・横浜」であることを実感させる。
横浜そごう前の、広場・催事スペースでは、
「関西観光キャンペーン」
をやっていた。
コテコテの関西弁をしゃべる司会者と、
清楚なようで、チラッと見せるタレント魂のような表情の“ミス奈良”が、
ノリの悪い横浜人に戸惑っていた。
商店街振興の先駆者として名高い「伊勢佐木モール」も、
空き店舗のないように苦心している風が見てとれる。
老舗といわれた店も、ひとつ消え、ふたつ消え、
そこへ登場する得体の知れない店に、全国チェーン店。
バブル景気の中国資本が目立ってくるのも、
日本企業が米国の象徴・ロックフェラーセンターを買収したときと同じ、
「人の振り見て我が振り直せ」
今の状況に、いきり立つことができるのは、
あのバブルで踊らなかった人だけに限られる。
“街路樹に大根”
日本全国どこを探しても、こんな光景のある商店街ってあるのかな?
これは、シュールな芸術として見るべきだろう。
過去の栄光を懐かしがって、現状を嘆くよりも、
無秩序を強みに変えて、多国籍商店街というのはどうだろう?
それぞれに国旗を掲げること。
道路に出張った部分は使用料を払うこと。
モールには、占用場所がわかるように、
マス目模様が色分けされて、
店から1mは、平米単位で日1千円、
1m~2mは、日3千円といった具合に。
そして、商品ばかりではなく、
看板も、自転車も、店の前にあれば、
管理責任者として、料金を支払う分、処分もできる。
そして、営業時間内の走行自転車には、違反キップも切れる。
これらの収入は、管理や宣伝経費にあてる。
そんな、特区的な商店街があってもいいんじゃないのかな。
* * *
「開港で出現した横浜の街並みは、どういう基準で造られたんだろう?」
そう質問してみたら、
近世史を専攻していたTS女史に、
「御府内備考を読めばわかる」
といわれた。
市立図書館でも、館内閲覧となっているので、
なかなか読む機会がない。
それがついに手に入った。
読めと言われて、10年は経っている。
大著だけに、あと10年はかかるかもしれない。
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