散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

東京皇居ぐるり散歩2

2010年02月09日 | ★メタ坊タウン情報

東京消防庁のビルを右手に見ると、じきに、銅像が見えてくる。
地下鉄東西線・竹橋駅への入路とお堀の間にある広場に、見上げるほどの大きさで、立っている。
衣装といい、直刀を腰に差し、笏(しゃく)を手に持っているから、おじゃる丸?それとも聖徳太子?なんて思いながら近づいてみると、銘板に「和気清麻呂(わけのきよまろ)」とあった。
昭和15年の紀元二千六百年を記念して建設されたもので、護王大明神の神号をもつ忠誠心厚い清麻呂の英霊は千載生けるが如く、天地とともにとこしえに国体(=天皇)を擁護する、とも書いてある。
平将門を守護神として江戸城の鬼門に神田明神を祀ったのと同じに、宮城の鬼門にあたる位置にこの銅像を建てた訳だ。
ちなみに、清麻呂は、宇佐八幡宮神託事件で、神託により称徳(孝謙)天皇から皇位を継ごうとした僧・道鏡を、新たに「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ」という神託を受けることで道鏡を排除し、これにより皇位継承の道筋をつけた忠臣といわれる。
この事件で興味深いのは、道鏡の皇位継承を否定する神託を持ってきた清麻呂を穢麻呂(けがれまろ・きたなまろ)と改名した上で鹿児島へ流したことと、その姉・広虫(ひろむし)も尼僧・法均と名乗っていたものを、わざわざ還俗させて、狭虫(さむし・せまむし)と改名させたこと。

さて、その近くには、震災いちょうと呼ばれる公孫樹の木が立っている。
一面の焼け野原となった都心で生き残った公孫樹として、復興への希望を与えたのだそうだ。

すぐに、平川門につく。
一般開放されている、皇居東御苑の北側の出入り口だ。

その近くの歩道上に、神奈川県の文字と県花ヤマユリをあしらった石板と、1.8kmという距離のプレートが埋め込まれていた。
起点はどこなんだろう?

道が徐々に上り坂になってくる。
その手前にあるのが竹橋だ。
東京駅や丸の内、大手町が平坦であることを考えると、徳川家康が入国して江戸城を堅固に造りかえたとされる以前の地形がそのまま残っていることを感じさせる。
確かこの辺りから川の水を引き入れているはずで、橋を渡らずに堀割沿いに北の丸公園を左手に見て回り込めばわかるけれど、今回は信号につかまらずに行くことを目指したので橋を渡る。
渡ったところに、竹橋御門というのがあったそうだ。

ふと道路の向こうを見てみると、住居表示板が3枚並んでいる。
左から「北の丸公園4・5・6」となっている。
あの石垣の左が4街区で、右が6街区だとすると、5街区は住居表示板の幅、確か12cmしかないことになる。
ずいぶん狭いなぁ。


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