散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

横浜散歩・客船は見るよりも乗るもの

2009年10月01日 | ☆横浜じゃん
といったついでに「西郷隆盛の、児孫のために美田を買はず」という名言もあるじゃない。貯金なんかしないで客船に乗ってみようよ。とカミさんを説得し、初代・飛鳥に乗船したのは15年前ぐらいだったろうか?
シーバスに乗ったぐらいでも船酔いするカミさんを、子どもが奈良の大仏が見たいという何気ない発言で、カーフェリー・さんふらわーに乗せ、那智勝浦まで行ったときには「もう金輪際、船には乗りません!」とまで言わしめた。それを口説き落とし、なんとか横浜港からワンナイトクルーズに乗船したのは、日本一の豪華客船「飛鳥」のネームバリューと憧れだったに違いない。ドレスコードがカジュアルだったのも気軽に参加しようと思えたのかもしれない。
乗船し、出港を知らせる霧笛長三声が鳴り、シャンパンと5色の紙テープを受け取って、デッキに出ると、まわりはご年配の人ばかり。私たちと同じ、30代(当時)はほとんどいない。逆に「そのお歳で飛鳥に乗られるなんて」と驚かれることしきりで、よっぽど貧乏人が背伸びして乗ってきたと思われたんだろう。
ゆっくりと大さん橋を離れ、横浜港を出て、右手に横浜の街並み、左手に房総半島を眺めている頃には、デッキに誰もいなくなった。「なかなかいいじゃないの」とカミさんがいい、夕食までの時間、リドカフェでお茶を飲む。ところが、小笠原あたりに低気圧が接近、飛鳥が東京湾を南下し、浦賀水道を抜けた辺りから微妙に揺れ始めた。コースディナーの食事が終わり、ブロードウェー・ショータイムのころになると、長い間隔の上下は感じるものの揺れがほとんどなくなった。カジノをし、ダンスタイムでは揺れに慣れたせいか、カクテルを楽しむ余裕も出た。部屋に戻り、テレビで上映される映画を見て、カミさんが眠りにつくころ、船の航跡を表示するGPSチャンネルを見ていたら、外の風雨にもかかわらず何故揺れないのか理由がわかった。なんと、東京湾を出た飛鳥は夕食時間にスピードを上げて船を安定させ、一気に大島近海へ急行し、風力の弱まる島影へ船を寄せたうえに、船首を風上に向けて安定するように操船していたのだ。
翌朝には天候も回復、南房総沖に迂回しながら、東京湾を北上し、ベイブリッジを抜けて横浜港へ入港した。着岸後、送迎デッキに出てみると、何故か足元がフワフワする。そのとき、カミさんがいった。
   「次のクルーズは、どれにしようかしら?」
以来、しばらく飛鳥に縁があった。おかげで、ダンス教室に通うことにもなったし、タキシードも揃えたが、子どもが成長し、学費がかかるようになって、クルーズ三昧をやむなく封印した。
飛鳥Ⅱが就航して、その容姿を目にするたび「また乗りたいね」と言うのだけれど、そのためには、再びダンス教室に通い、ダイエットをしてタキシードが着れる体型に戻さなければならない。となると、少々つらい。

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