マスクメロンは、瀕死の病床でなければ食べられなかった。
庶民にとってそれほどに手の届かない代物で、それこそ千疋屋とか高野、横浜でいえば水信という「果物屋・フルーツ専門店」の奥まった棚に、フカフカのモールに包まれて箱に鎮座していた。
作家・遠藤周作のエッセイの中に、作家仲間が入院したので、見舞いにメロンを持って言ったと聞いた記者が確かめたところ、栗(マロン)だった、という話しが確かあった。
今から20年ほど前は、マスクメロン栽培の北限は、静岡掛川あたりだったような気がするけれど、今は茨城県でメロン栽培が盛んで、千葉の館山辺りでは露地栽培もしているというから、これも地球温暖化の影響なのかもしれない。
ちなみに、バナナは肺炎寸前ほどに風邪をこじらせて、寝付いたときに登場することが多く、風邪の初期段階では刻んだ長ネギをガーゼに包いで首に巻き、熱が出て食欲が落ちるとリンゴを摺ったものを口にできた。
バナナはもっぱら駅前に立つテキヤがたたき売りをしていた。
今のように、船倉や埠頭の専用上屋で青いバナナを薫蒸する方法ではなく、自然に熟して色づくのを待ったから、運悪く腸チフスなどに感染して命を落とすこともあったという。
スーパーマーケットで見てみると、マスクメロンの表示はなく、アールスメロンという名で売られていた。
気になることを調べてみるとなかなか見つかりません。
ケンミンショーに取り上げられるほど、
人により地域により、
常識と思われていたものが珍しかったりして、
明治・大正生まれの人にいろいろ聞いておくんだったな、
と悔やまれます。