利倉 隆 著/美術出版社・61ページ目
聖母は厳格な審判者キリストに対し心優しい取りなし役と考えられ、どうしようもない悪党であっても、聖母へのお祈りは欠かさなかったという程度の信心があれば贔屓をしてくれることがあると民衆には信じられていた。
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本のカバーには、
西欧の名画のなかには無数の悪魔が潜んでいる。本書は338点におよぶ悪魔に関するえり抜きの図版を集め、その8割以上をカラーで再現した。これら悪魔の美術とともに紹介される伝説や物語は、聖書やその外典、聖人伝はもちろんのこと、民間伝承類、そしてダンテ「神曲」やゲーテの「ファウスト」などの文学世界にもおよんでいる。私たちにとって、悪魔とは何者なのか?
と記述されています。
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システィナ礼拝堂のミケランジェロが描いたとされる「最後の審判」の壁画は有名ですが、仏教に死後、極楽行きか地獄行きかの裁きがあるのと同じく、キリスト教にも死後、天国行きか地獄行きか審判が下されるのだそうです。
審判は閻魔大王ならぬ大天使ミカエルの仕事とされ、天秤ばかりに死者の魂を載せ、善行が多ければ重くなり、天国へ行ける仕組みになっています。
61ページに掲載されているスペインのサン・ミハエル教会・審判図(下写真)には、天国ばかりに死者を送られては困る悪魔が、ミカエルの天秤を横取りして悪行の皿を重くしようと手下に引っ張らせています。
「地獄に仏」という話、地獄へ落ちても仏が観音様やお地蔵様に姿を変えて救いに来てくれるのと同様、キリスト教でも聖母マリア様が救ってくれるんですね。
どちらにしても、信心がなければ救われないということになると、無信心の人の魂はこの世をさまよい続けるのかなぁ?
天国へ行った人が「星」、地獄に行った人が「石」だとすると、どこに堕ちようか風に吹かれて舞い散る「雪」が、さまよう魂なのかもしれませんね。
>>>「100ページ目のことばたち」由来
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