散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

鎌倉七福神散歩4・妙隆寺

2011年03月19日 | ☆神奈川県(ハマ以外)

鎌倉駅から続く細長い道筋は「小町通り」として名高いゆえに、小町大路と混同する人が多い。
鶴岡八幡宮に続く一直線の道、段葛・若宮大路は鳥居に大きな狛犬、桜並木があるので一目瞭然。
そこから見える鎌倉郵便局の裏手に行くと突き当たったやや広めの道が「小町大路」だ。
割合、人に知られていないだけに、人通りも少なく、お正月にはバス専用道路として、かろうじて鎌倉中心部のバイパス的役目を担っている。
歩いてみれば、舟での運搬に欠くことができない滑川沿いに並行しているし、また、鎌倉時代の有力御家人の屋敷跡も多いので、重要な大路だったことを伺うことができる。
そして、日蓮宗の祖・日蓮上人が立正安国論を唱え、辻説法を行ったという遺跡や、それにまつわる寺院も多くあって、武士が戦いに明け暮れる殺伐とした末法の世に、元寇や、うち続く飢饉や災害、疫病などで生きる希望を失った庶民に、その思想が受け入れられるきっかけとなった場所でもある。
そこに、妙隆寺がある。
鎌倉の寺とはいえ、家並みが近くに迫っているせいか、寺域はそれほど広く感じられない。
山門がポツンとあって、生け垣や庭などの寺っぽいものが続いている訳ではなく、車の出入りするような生活道路のようになっているのも、そういう印象を与える原因になっているようだ。


本堂の手前に寿老人を祀る祠があり、その後ろに直径10mほどの池がある。
この池は、室町時代、日親上人が百日間の寒中水行を行った場所と伝えられる。


長い間に他宗派と妥協し変質してしまった法華宗を正すべく、日親上人は、他宗からの不施不受を説き、日蓮の唱えた法華経こそが唯一絶対の仏の教えであることを主張し、室町幕府6代将軍・足利義教に説法する機会を得た際、悪政を改め、他宗への喜捨をやめて、日蓮宗に帰依するよう諭したことから弾圧を受けることになった。
投獄され、舌先を切られ、焼かれた鍋を頭にかぶせられるなど様々な拷問を受けたが、屈することなく、後年「鍋かむり日親」とよばれた。


4>妙隆寺「寿老人」ご朱印



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