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横浜市幹線街路・環状4号線が開通して、この辺りは激変しました。
というのは、少々オーバーですが、
和泉町の地名の由来となった「酒池」のある第六天神社から、
茅葺きの鐘楼があって古風な佇まいの密蔵院に立ち寄り、
大銀杏を抜けて、鯖大明神社から天王森の山裾を経、
俣野観音堂へと抜ける道が、
里山の雰囲気を色濃く残していて好きでした。
江戸時代、上・中・下の3地域で形成されていた和泉村の、
「下和泉」にあたります。
境内地の字地名は「鍋屋」。
祭神 左馬頭源ノ満仲
勧請年代不詳、里伝に慶長年中(1596-1615)に、
当地の豪士、清水、鈴木の両氏が氏神として勧請したと伝えられている。
元禄2(1689)年に氏子の寄進による社殿修復の棟札が残されている。
天保7(1836)年5月、神祇管領卜部朝臣良長が参向して奉幣、
「鯖大明神」の額を奉納している。『中和田郷土誌より』
疫病(新コロナウィルス)の無事な収束を願って、
七サバ参りならぬ、十二サバ参りの三社めサバ神社。
近くには、旧製糸場寄宿舎を移築した天王森泉館や、
広々とした境川遊水地公園があります。
扁額「鯖(魚偏に青)大明神」
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