散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

千葉大多喜・泉水周辺散策

2011年11月27日 | ☆千葉県

大多喜リゾートホテル・マグレガーカントリークラブのすぐ近くに、大きなカヤの木(見出し写真)がある。
根元には、注連縄が張られた形跡が残り、荒神様の石祠のようなものが祀られている。
きっとかなりの大木だったに違いないが、朽ちたのか、落雷に当たったのか、無惨にも頂は大きく折れた様子だ。
落雷が人に落ちる確率が3万分の1で、宝くじ1等当選の確率に同じと聞いたことがある。
しかし、高台の大木に落雷が当たる確率は非常に高く、雷神=天神=菅原道真の図式で、天神平のように地名が残ったり、天神様の社殿や石祠を祀ったりすることから、このカヤの木の石祠は荒神様ではなく天神様かもしれない。
韓国ドラマの中で「雷の落ちた木でお守りや数珠を作って身につけると、魔を除け、幸運が訪れる」と言っていた。
日本文化の多くが朝鮮半島経由で伝播してきたことを思うと、落雷で折れた木はお守り札になって信奉者に配られたのだろうか?
地図で確かめると、字名は「横山」、後方の山の頂は「浅間山」と名付けられている。
ここから、山に沿った道を登っていくと、山中に「風の村」という福祉施設があり、地図上ではオートキャンプ場となっている。


さらに登っていき、峠らしき場所までくると、こんな看板があった。


大多喜は、徳川四天王・本多忠勝が所領した城下町であることから、江戸への道が整備されたと思われる。
その姿を色濃く残す場所がここらしい。
説明に曰く、当時は薪として木々が伐採されていたので、見晴らしが良く、太東岬や清澄山が見渡せ、ここから4kmに、江戸時代の街道の原形がとどめられている、とある。
尾根伝いに辿る古道とは違い、今の車道は山や谷を穿って造られており、地名でいえば「月出」「月埼」へと進む。
「月」の字のつく地名の由来はなんなのだろう?風流にしては、実に山深いところで、平家の落ち武者が出るにふさわしい。


さて、カヤの大木から坂を下る途中には、切り通しにした幾層もの岩肌が見える。
非常に柔らかい砂岩で、海中にあった房総半島が隆起するまでの地層がミルクレープのようにきれいに重なっている。
ところどころ、ズレや傾斜の角度が変わっているのは、地殻変動によるものかと思われるが、素人判断では判らない。


もう少し下ると、溜め池があった。

この辺りの地名は「泉水」。
水のつく字だから、大多喜城(矢印)を望み、田畑が一面に広がる。
砂岩の山から集まった水が湧き出てくるのだろう。


大多喜城下から江戸道に入ろうとする場所に、六所神社がある。


社殿は、その建築を室町期に遡れると解説があり、神仏混交だったその昔、泉水寺という大伽藍が一帯に建ち並んでいたそうだ。


その証左として、隣には、立派な仁王門がある。




参道となる石段の古さからいっても、六所神社のものよりも古いことが判る。
登りきると、堅牢なお堂があり、大きな宝冠虚空蔵菩薩が座っている。
虚空蔵菩薩は、大山祇神社の本地仏であることから、ここに修験道と関係の深い大山祇神社があったとされる。
堂内には、不動明王像など朽ちかけた諸仏が並べられ、四天王や羅漢の一部も見られるので、泉水寺は相当の規模であったようだ。


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