散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

1999年の大船あたり

2021年09月30日 | ★集メタ坊屋敷ごみ

政治の稚拙さから、工場の海外移転が止まりません。
グローバル経済とはいいながら、株価とは一致せずに、日本経済は沈んでいくばかりだと思いませんか?
藤沢・大船・戸塚・保土ケ谷・横浜と東海道沿線には大企業の工場が林立していました。
それがひとつ消え、ふたつ消え、入れ替わりに大規模住宅地ができると、隣接する工場が稼働しにくい状況に置かれて、また移転するという、人が増える一方、働き先がなくなるという悪循環が繰り返されています。
ある時期、大船は「日本のハリウッド」といわれました。
その大本は「松竹大船撮影所」で、松竹創立100周年記念事業として1995年に「鎌倉シネマワールド」がオープンしましたが、3年で閉鎖となりました。
2000年には撮影所も閉鎖となり、今は鎌倉女子大学のキャンパスになっています。

「松竹」という名前探しも、まち歩き好きには格好のポイントです。

さて、駅周辺を歩く場合「大船の観音様」がランドマークです。

見え方によって、今どこにいるのか知ることができます。

商店街では「観音食堂」がランドマークです。

この当時はまだドリームランド線といったモノレールの橋脚が残されたままでした。

モノレールは、用地確保の容易さ?から、横浜市と鎌倉市の境界に沿って建設されていました。

このモノレールは、横浜ドリームランド開業と同時に営業を開始したものの、故障して修理できないまま短命に終わったのは有名な事件です。

バスターミナルとサティのあった場所も、再開発されたと聞いています。

街並みもずいぶん変わったんでしょうね。


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