“ゆき”とは、だれが名付けたんだろう?
学校で習う、日本の歴史は、必ず、縄文時代から弥生時代に入り、福岡県志賀島で出土したとされる「漢委奴國王」の金印の写真とともに、中国の魏志倭人伝に「倭(わ:日本のこと)の奴国から朝貢の使者が来たので印綬を賜った」という記述があり、その頃には、中国へ使者を送ることができるほどの国が日本に存在したと教えられた。
そして、中国の制度や文化が導入されるにおよんで、雨が凍って結晶になって降ってくる“ゆき”という言葉に、“雪”という漢字があてられた。
自然の脅威におののき、恩恵によろこびながら生活する中で、観天望気を欠かすことはできない。
“はれ”、“くもり”、“あめ”、そして“ゆき”と、空を見上げながら、天候を予測し、伝え合うことで、生き残るための営みを繰り返してきた。
「雪には苦しめられるばかりで良いことは何ひとつないと思って育ってきたが、家を継ぎ、田畑を守って、家族とともに故郷に暮らす中で、夏の日照りでも、冬のあいだ降り積もった雪が、砂地の多い田畑や山川を潤していることに気がついた」と、新潟の友だちが言っていた。
雪の降る冬があるから、春も、夏も、秋も、それぞれに美しく映えるのだろう。
清冽なイメージのある“ゆき”・・・だから、人の名前にも知らず知らず“ゆき”の読みが多いのかもしれない。
今日は、雪の降った「建国記念の日」。
この日のブログを書くのに、有り余る時間を与えてくれた雪だったけれど、何をどう書くか考えているうちに1日を費やしてしまった。
久しぶりの雪で、ちょっと庭の木の様子をデジカメしてみた。
ふくらみかけた椿の蕾が耐えているように見える。
そして、桃と間違えた紅梅も多くの花芽をつけて、いま少し咲く時期を考えているようだ。
学校で習う、日本の歴史は、必ず、縄文時代から弥生時代に入り、福岡県志賀島で出土したとされる「漢委奴國王」の金印の写真とともに、中国の魏志倭人伝に「倭(わ:日本のこと)の奴国から朝貢の使者が来たので印綬を賜った」という記述があり、その頃には、中国へ使者を送ることができるほどの国が日本に存在したと教えられた。
そして、中国の制度や文化が導入されるにおよんで、雨が凍って結晶になって降ってくる“ゆき”という言葉に、“雪”という漢字があてられた。
自然の脅威におののき、恩恵によろこびながら生活する中で、観天望気を欠かすことはできない。
“はれ”、“くもり”、“あめ”、そして“ゆき”と、空を見上げながら、天候を予測し、伝え合うことで、生き残るための営みを繰り返してきた。
「雪には苦しめられるばかりで良いことは何ひとつないと思って育ってきたが、家を継ぎ、田畑を守って、家族とともに故郷に暮らす中で、夏の日照りでも、冬のあいだ降り積もった雪が、砂地の多い田畑や山川を潤していることに気がついた」と、新潟の友だちが言っていた。
雪の降る冬があるから、春も、夏も、秋も、それぞれに美しく映えるのだろう。
清冽なイメージのある“ゆき”・・・だから、人の名前にも知らず知らず“ゆき”の読みが多いのかもしれない。
今日は、雪の降った「建国記念の日」。
この日のブログを書くのに、有り余る時間を与えてくれた雪だったけれど、何をどう書くか考えているうちに1日を費やしてしまった。
久しぶりの雪で、ちょっと庭の木の様子をデジカメしてみた。
ふくらみかけた椿の蕾が耐えているように見える。
そして、桃と間違えた紅梅も多くの花芽をつけて、いま少し咲く時期を考えているようだ。
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