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1月16日は、地獄が営業を開始する日です。
その日に「閻魔祭」を行っている藤沢市西俣野・花応院に行ってきました。
「閻魔祭」は、閻魔様を祀るお寺で行われるものですが、
檀家あってのお寺ゆえに、人を集めて行うところは非常に少なくなりました。
この花応院・閻魔祭が、他の寺と大きく違うのは、
地域に伝承する「小栗判官・照手姫説話」を絵解きで解説することにあります。
絶世の美男子・小栗(おぐり)と美女・照手(てるて)を主人公にしたお話で、
全国各地に似たような伝承が残っています。
歌舞伎や浄瑠璃、演劇などでも、よく演じられます。
藤沢市に遊行寺(時宗総本山清浄光寺)と呼ばれるお寺があります。
時宗の開祖・一遍は、修行の途上、熊野本宮に参籠したとき、
熊野権現(本地仏・阿弥陀如来)から、
阿弥陀仏への信不信、身分を問わず、南無阿弥陀仏と唱えれば往生できるという教えに従い、
「決定(けつじょう)往生/六十万人」としるした念仏札を迷わず配るべしと、
夢の中で告げられます。
俣野(藤沢市・横浜市戸塚区)の領主・俣野五郎景平が遊行寺の開基となり、
その弟が第4代遊行上人・呑海として、時宗が飛躍的に広まることから、
藤沢と熊野とを結ぶ説話が、地獄図とともに、
極楽往生を願う民衆に流布されたのではないでしょうか?
さて、人は死ぬと冥界(死後の世界)に行くのですが、冥界は6つ(六道)に分かれています。
天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄
どの冥界へ死者を行かせるべきか、裁きを行うのが十王と呼ばれる王です。
死んでから7日ごとに7人の王が裁きを行います。
もともと閻魔様は筆頭格だったのですが、
仏教と習合した関係で本地仏・地蔵菩薩の化身であったため、
地獄に落ちた人を救うことが多く、温情が災いして、5番目の王に降格になったそうです。
閻魔様は、死者の生前犯した罪を裁くための道具を3つ持っています。
杖の頂に2つの頭があり、見る目・嗅ぐ鼻で、善悪を表情で知らせる「人頭杖」
天秤の一方に死者、一方に重り、死者が重い分、罪が重くなるという「秤」
どれほどの善もしくは悪を重ねたかが、動画で映し出される「浄玻璃鏡」
これで、どの冥界へ行くかはほぼ決定ですが、
閻魔様の前4人、あと2人は、その審理が行われている間に、
死者の関係者が、死者のために何をしたか(追善供養)により「情状酌量」する王という訳です。
そして、七七=49日目にして、三途の川を渡り、彼岸(冥界)へと旅立ちます。
それで、お墓に納骨する日が、49日です。
残りの3人の王は、それそれ、百か日、1周忌、3回忌に、
やはり追善供養の度合いにより、救済措置をするか判断する役目を担っています。
ここから地獄の解説に進むのですが、閻魔祭をしているお寺でぜひお聞きください。
花応院にある閻魔様は、別のところにあった閻魔堂が火災になって避難してきました。
割合に大きな木造の閻魔様ですが、本尊はその胎内仏とされる石造の閻魔像です。
閻魔堂にあったときは、お前立として、置かれていたようです。
しばらくの間、木像は修復に出されていました。
修復後(上写真)、修復前(下写真。7年前の夏に行ったとき撮影)
両脇の司命・司録も立派になって帰ってきました。
花応院・本堂
本堂への参道は、斜めになっています。
この延長線上に、飯田牧場、瞽女が淵、聖母の園があります。
ということで、閻魔祭も終わり、
目の前にある飯田牧場・ミルクファームでジェラートを食べ、極楽気分を味わいました。
(店内。冬だというのに、地元高校生を含め、10人ほどのお客さんがジェラート三昧)
(外観)
花応院での閻魔様のご開帳は、1月16日と8月16日です。
時刻は、お寺の掲示では「午後2時より」となっています。
何か事情のない限り、その日時に行われると思います。
本来は、神社の氏子同様、寺の檀家が対象とされるのですが、
信教の自由が憲法で保障されている現代では、
閻魔様にお近づきになりたいとか、
閻魔信仰について知りたいといった方、どなたでも参加が可能です。
ただし、「閻魔祭」として、曹洞宗の祭祀から始まります。
また、「参加無料」とはいえ、冥加料を供える心遣いは必要です。
閻魔様はお見通しなのですから・・・。
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