こんなにやさしい味噌かつだったんだと改めて実感しました。
名古屋の友人が、買った味噌をそのまま使わず、
いく種類か味噌をその家流にブレンドして使うもの、
だから味噌かつでさえ、店によって味が違うといっていたのを思い出します。
それでも「てやんでぇ、そんなまどろっこしいこと、やってられめぇ!」と
イチビキの「献立いろいろみそ」をそのまま使っているうちに、
味噌かつの味は、これ!
という固定観念ができてしまうのは、
あずま男を自負するメタ坊の悲しいサガといえるのかもしれません。
たっぷりのキャベツの千切りを座布団代わりにして、
配膳された味噌かつ定食は、
赤煉瓦のマスターとママさんが、長い歳月とともに丸くなった?
と思えるほど、やさしい味でした。
常連は、すぐできる「赤煉瓦」と呼ばれる生姜焼定食か、
ヒレかつ、もしくは、アジフライが定番です。
(店内)
(入口)
赤煉瓦は、隣接する横浜市教育文化センターの開館と時期を同じくして開店。
中でも市民ギャラリーは稼働率が高く、著名な美術家を多く輩出する土壌をつくり、
その結果、美術展を通じて収蔵された作品は、
みなとみらいにある横浜美術館の重要な美術品の一部となっています。
耐震性が脆弱ということで2013年に閉館になるまで、
赤煉瓦は、美術愛好家の憩いの場として、さまざまな文化人が通っていました。
(解体予定の教育文化センターは、今も建っています。)
ところで、すぐ近くに駄菓子屋を連想させるようなタバコ屋があります。
珍しい洋物タバコ(洋モク)に並んで、趣味の手芸作品が並んでいたりしたものですが、
さすがに、あの看板お母さんは座っていませんでした。
タバコは、鉄砲とともにポルトガル人が日本に持ち込んだものといわれ、
延命長寿、万病治癒の効用があると薬用に使われました。
ときを同じくしてポルトガル人が日本に梅毒を伝染させたため、
梅毒に効果があると信じられ流行することになります。
江戸幕府は当初禁令を何度も触れますが、効き目はなく、
ついには嗜好品としての地位を得ると、タバコ文化が形成されていきました。
お茶と同様、産地や製造法により、味や香りが異なるため、
地方の名産品として、来客の饗応に欠かせない存在になるのです。
ちなみに、明治に入り、日露戦争の戦費調達のため、
塩とともにタバコは、国の専売となりました。
夫が戦死した寡婦には、販売等の就労あっせんをしました。
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