「橋」は「はし」でも、「〇〇橋」だと「はし」か「ばし」になります。
「はし」は、清音。「ばし」は、濁音。
というわけで、橋の架かる川が濁らない清らかな流れであるように、
口語は「ばし」でも、橋銘板には「はし」としているところが多く見受けられます。
横浜の場合も、多くは「はし」となっていますが、
これまでは慣例で、最近になって明確な基準が決められたようです。
橋に取り付けられる銘板は4枚。
河川名、漢字橋名、ひらがな橋名、竣工年月日です。
和泉川は、泉区和泉町の中央を流れて境川に合流しています。
和泉町の中央辺り、川が長後街道と交差する橋が「和泉橋・いずみはし」です。
漢字橋名
ひらがな橋名
その上流部、泉区と瀬谷区の区境辺りの橋の名が気になりました。
区境の旧道にかかる橋は「宮沢橋」といい、その下流に、
都市計画幹線道路「鴨居上飯田線」の建設に伴って架けられた橋があります。
現在、手元にある「区民生活マップ(下写真)」には「わいずみ橋」と表記されており、
実際に行ってみると、
漢字橋名は「わいずみ橋」で、
ひらがな橋名は「わいずみはし」となっていました。
もともと、この橋をよく利用していたため、
ある時「和泉橋」と表示されていることに気づきました。
残念ながら、ひらがな銘板は未確認。おまけに写真データが簡単に見つかりません。
しばらくして、橋銘板が無くなり、プレート泥棒の仕業かなと思っているうちに、
無名時代が何年か続いたのち「わいずみ橋」がはめ込まれました。
さて、戸塚区から分区して泉区が誕生したのは昭和61年。
昭和63年刊行の明細地図(下写真)では「宮沢下橋」となっていて、
平成3年の「区民生活マップ(下写真)」には同じく「宮沢下橋」となっています。
ところが、平成8年4月現在という「横浜市河川計画図(下写真)」には、
「内林橋」という表示がされています。
「内林」は、北の境橋の西側一帯の字地名で、
確か日向山の区画整理事業により字地名は廃止になっています。
ぜひとも解明してください。
コチラのブログも結構前の日付の記事が、
日にちが経ってから表示されるのも謎です。
いつごろからなのかわかる気がしますが、
何故そうなったのかは、
当時の関係者しか知らない事情がありそうですね。