散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

東京浅草七福神散歩4・待乳山聖天

2010年12月30日 | ★メタ坊タウン情報

喜多川歌麿の描く吾妻遊(寛政刊)の中の「待乳山」に、、
「にこゞりの 聖天なりと笑ふとも 君をまつち(待乳)の 神にいのらん」
という狂歌がある。
「にこゞり」の解説に、「女郎と客とが体をくっつけている様子。じっと動かないで抱き合って寝ているさま」とある。
「聖天」は、別名・歓喜天といい、男性と女性の二天がしっかりと抱き合っている双身像であらわされる。



待乳山聖天宮は、浅草寺の支院のひとつ本龍院の本堂をいう。
待乳山の縁起は古く、浅草寺の観音様が現れる前に、一夜にして山が出現し、金の龍が天から舞い降りてきて山を守護したゆえに「金龍山」を号したとされる。
今は標高も10mに満たない丘だが、隅田川とまわりは葭の生い茂るところにあったから、当時はランドマーク的存在だった。
日本橋人形町辺りにあった遊郭・吉原が、幕府の移転命令と明暦の大火を受けて、浅草寺裏手の“浅草田圃”の造成地“新吉原”に移ってくると、一躍脚光を浴びる存在となる。
吉原遊郭は“悪所”とされたところなので人目がはばかられた。
陸路を行けば人目につきやすいので、舟で行く方が都合がよい。
隅田川を遡り、待乳山聖天宮が見えたら、その裏手にある山谷堀に入って、日本堤の岸で舟を降りれば、吉原は目と鼻の先にある。

川柳に「聖天は 娘の拝む 神でなし」と詠まれる。
聖天=大聖歓喜天は、ヒンズー教の最高神シバ神の息子で、強欲で差別を専らとする悪逆非道を尽くす神だった。
そこで、十一面観音菩薩が女神(天女)に化身して、聖天の前に現れると、聖天は一目惚れし、妻にすることを望んだ。
女神は、私の導きに従い、仏教を守護することを条件に、抱き合い交わる。
聖天は、いままでにない歓喜を得、これ以上欲するもののないことを悟り、仏法に帰依し、護法する神として仏世界の一員となる。
その歓喜の真っ最中、現在進行形で表されているのが歓喜天像なのだが、秘仏らしい。
御利益は、本来、除災招福。
でも、やはり、良縁成就、夫婦円満(男女和合)、子宝授け、子孫繁栄、商売繁盛の聖天様として信仰されている。
そのためか、石段を上がってすぐ左手に歓喜地蔵が祀られていて、子育てのお地蔵様として祀られている。


春は桜、秋はイチョウが見事だ。


震災、戦災と被害を受けて、再建されること度々。
唯一、江戸を偲ぶものとして、境内に土塀が残っている。
休憩所の売店みたいなところには、花と大根が売られていた。
お土産にするにしては、大根とは珍しい!と思っていたら、どうも奉納するものらしい。


本堂に近づくにつれ、あちらこちらに、大根と巾着のマークが溢れていることに気づいた。
聖天像が、巾着(砂金袋)と大根を手に持っているからだといわれているらしい。
巾着は、財宝を意味し、現世利益が大きいことを象徴する。
大根は、人の持つ欲望・迷い・怒りを消し、体の毒を洗い清める役割をする。


しかし、よくよく見ると大根は二股だし、交わっている。
そして、巾着は女性を、大根は男性をシンボルにしたものと解釈する方がしっくりくる。
きっと、聖天様は当時秘仏ではなく、参詣人は聖天様を拝んだあと、精進落とししようとか、生きた観音様を拝みに行こうとかいって、吉原へと繰り出したんではなかろうか。
そんなだから「娘の拝む神でなし」という訳だ。


なお、聖天と十一面観音菩薩の守護神として、四天王の一人・多聞天の独尊としての別名・毘沙門天が祀られている。
毎年、1月7日には、大根まつりが行われ、奉納された大根で作られた“ふろふき大根”が無料で参詣者にふるまわれるので、ぜひ出かけてみてはいかがでしょう。

 (真言宗豊山派金剛院の般若心経)


3>待乳山本龍院「毘沙門天」ご朱印



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