お休みは?と聞かれ、「盆、暮れ、正月」と答えたものです。
「勤勉な日本人」と言われて、有給休暇も取らず高度経済成長を支え、
バブル期では、猛烈に働き、猛烈に遊び、「24時間営業」が当たり前となった一方、
まったく働かないでお金がもらえる制度を創り出したのもこのころです。
それがいつの間にか「格差社会」を創り出してしまい、
一喜一憂しつつ、漠然とした不安感の中を日々暮らしているのは、
メタ坊ばかりではない気がします。
異常な暑さと天候が続いています。
夏は「ガン」、冬は「心不全」と、死亡届の診断書への記載が目立ち、
それこそ「盆、暮れ、正月」に集中すると聞いたことがあります。
つい、この前、葬儀屋さんから「最近は、ケア切れが多い」と小耳に挟みました。
少子高齢化社会の中で、保育所不足の一方、
乱立する老人介護施設に受け入れきれないほど「待機老人」がいるのも事実。
病院に行ってみると、入院患者のほとんどは寝たきりの高齢者ばかりで、
施設で不調をきたした老人が担ぎ込まれ、
「完治回復」など望みようもなく、
「看取る」ための延命治療を続けられているのが実態のようです。
メタ坊がまだ若かったころ、
救命救急センターに御厄介になったことがありますが、
その当時は、交通事故などの怪我や火傷、呼吸器・心臓疾患などで、
担ぎ込まれる人が次々にやってきて、
長短はあるものの、完治回復して退院するのでした。
今回、親の体調悪化で行ってみると、
ほとんどがみな高齢者。
ルーチンワークのように、酸素供給に薬剤投与、
そして人工呼吸器をつける挿管を行うかどうかの確認をして、
「体力的に手術は困難、今後、入院経過観察」となるのでした。
考えてみれば、むかしは近所のかかりつけのお医者さんに往診をお願いし、
大病院に入院するか、
在宅でこのまま看取るための治療に専念するかをアドバイスしてもらいました。
ほとんどの年寄りは「わが家で往生したい」と願っていましたので、
寝たきりとなり、食事もノドを通らなくなると、
投薬を拒否して、痛みがある場合は痛み止めの注射を打ってもらい、
その後、1週間から10日ほどで、自発呼吸が静かになり、
心臓の拍動が弱くなっていき、やがて「往生」を遂げました。
余程の家庭事情がなければ、1人暮らしの年寄りっていなかった気がします。
なので、
どんなにガミガミしていて「因業ババア」と陰口を叩かれていた人でも、
リタイア(隠居)後、手のひらを返したように、
「ありがとう」「ありがたい」を口癖のように言うほかは、
みな物静かになるので、子ども心には不思議に感じていました。
たぶん、看取られながら往生するためのコツを体現していたのかもしれません。
二男坊のメタ坊としては、惣領に実親は任せて、
カミさんの親と同居するのは、こういったことから抵抗はありませんでしたが、
ここ2週間ばかりの看取りとあれやこれや、忙しい日々を過ごす中で、
令和元年のお盆を迎え、今ひと息入れることができたのでコメントしました。
「ありがとう」を口癖にするジジイになろうと思います。
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