石浜神社の祭神は、天照大御神と豊受姫神からなる。
由緒によれば、神亀元(724)年9月聖武天皇の勅願によって鎮座とあり、明治5(1872)年の格付けで「郷社」とされたとある。
安政の絵図を見ると、神明社と真先稲荷社の2社あったことがわかり、大正15(1926)年、関東大震災の復興事業に伴い、真先稲荷社の祭神が石浜神社に合祀されたと思われる。
現在の地図と見比べると、神明社と真先稲荷社のちょうど中間にあることもわかる。
それに、鳥居をくぐろうとする石囲いの一番目立つ位置に「東京ガス株式会社」と彫られた石柱があった。
地図でもわかるとおり、一帯が東京ガスの施設になっている。
大きな丸いタンクも並んでいる。
拝殿をのぞくと、神明社らしく、天照大御神の岩戸神話が富士山のような額に彫刻されて、正面の鴨居に掲げられていた。
では、境内を見てまわろう。
素戔雄尊(すさのおのみこと)を祀った牛頭天王社は、橋場の鎮守として、江戸神社と呼ばれる。
並んで、菅原道真を祀る北野神社、八幡神社に、寿老神、真先稲荷社がある。
建物を別にして、職人のまちともいわれる江戸らしく、職人の神様を祀った麁香神社 (あらかじんじゃ)。
真先稲荷神社の奥宮として、招来稲荷神社(おいでいなりじんじゃ・写真左)、赤い鳥居は白狐祠(ほこら・写真中)、そして一段と高いところに、当時流行した富士山信仰により造られた富士遙拝所(写真右)がある。
富士山信仰は、富士講とか浅間講と呼び、江戸時代後期に流行った。
ほとんど自由などない中で、庶民はあの手この手で娯楽をつくりだす。
切支丹(キリスト教)禁制を徹底するために、江戸幕府は寺請制度による民衆への支配を推し進めた。
そのために、徒党を組むことを禁じてはいたが、信仰として寄り合うことは黙認した。
また、土地を離れること、仕事を休むことも厳禁だったが、病気療養のための湯治や農閑期の神事、参詣は、厭農・棄農、離散・逃散などを防ぐ意味から、届出と身元保証人さえいれば、それを許した。
結果、講を組み、費用を積み立てて、宴を催したり、果ては代参ということで、くじによる輪番で参詣への旅ブームが各所で発生する。
その拠り所として、富士山から溶岩を持ち帰って遙拝所をつくったり、噴火により降り積もった灰を集めて富士塚をつくったりした。
手前の石塔は、庚申信仰があったことを示す庚申塔だ。
境内の隅の方に、天の邪鬼がじっと耐えている。
いろいろな信仰対象に溢れる石浜神社にあって、彼はいったい何の役割を背負ってきたんだろう?
(大祓詞)
6> 石浜神社「寿老神」ご朱印
由緒によれば、神亀元(724)年9月聖武天皇の勅願によって鎮座とあり、明治5(1872)年の格付けで「郷社」とされたとある。
安政の絵図を見ると、神明社と真先稲荷社の2社あったことがわかり、大正15(1926)年、関東大震災の復興事業に伴い、真先稲荷社の祭神が石浜神社に合祀されたと思われる。
現在の地図と見比べると、神明社と真先稲荷社のちょうど中間にあることもわかる。
それに、鳥居をくぐろうとする石囲いの一番目立つ位置に「東京ガス株式会社」と彫られた石柱があった。
地図でもわかるとおり、一帯が東京ガスの施設になっている。
大きな丸いタンクも並んでいる。
拝殿をのぞくと、神明社らしく、天照大御神の岩戸神話が富士山のような額に彫刻されて、正面の鴨居に掲げられていた。
では、境内を見てまわろう。
素戔雄尊(すさのおのみこと)を祀った牛頭天王社は、橋場の鎮守として、江戸神社と呼ばれる。
並んで、菅原道真を祀る北野神社、八幡神社に、寿老神、真先稲荷社がある。
建物を別にして、職人のまちともいわれる江戸らしく、職人の神様を祀った麁香神社 (あらかじんじゃ)。
真先稲荷神社の奥宮として、招来稲荷神社(おいでいなりじんじゃ・写真左)、赤い鳥居は白狐祠(ほこら・写真中)、そして一段と高いところに、当時流行した富士山信仰により造られた富士遙拝所(写真右)がある。
富士山信仰は、富士講とか浅間講と呼び、江戸時代後期に流行った。
ほとんど自由などない中で、庶民はあの手この手で娯楽をつくりだす。
切支丹(キリスト教)禁制を徹底するために、江戸幕府は寺請制度による民衆への支配を推し進めた。
そのために、徒党を組むことを禁じてはいたが、信仰として寄り合うことは黙認した。
また、土地を離れること、仕事を休むことも厳禁だったが、病気療養のための湯治や農閑期の神事、参詣は、厭農・棄農、離散・逃散などを防ぐ意味から、届出と身元保証人さえいれば、それを許した。
結果、講を組み、費用を積み立てて、宴を催したり、果ては代参ということで、くじによる輪番で参詣への旅ブームが各所で発生する。
その拠り所として、富士山から溶岩を持ち帰って遙拝所をつくったり、噴火により降り積もった灰を集めて富士塚をつくったりした。
手前の石塔は、庚申信仰があったことを示す庚申塔だ。
境内の隅の方に、天の邪鬼がじっと耐えている。
いろいろな信仰対象に溢れる石浜神社にあって、彼はいったい何の役割を背負ってきたんだろう?
(大祓詞)
6> 石浜神社「寿老神」ご朱印
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