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七サバ・・・
サバ味噌、干サバ、〆サバ、サバ竜田揚げ、サバ水煮、サバ煮付け、サバ塩焼。
と、料理のことではなく、
神奈川県中央部を南北に流れる相模川の東側に、
並行して相模湾に流れ込む境川、
それに合流する和泉川と引地川の流域に、
それも横浜市瀬谷区・泉区、相対する大和市・藤沢市に、
通称「サバ神社」と呼ばれる神社が、
11または12か所、ある説では14か所点在しています。
これは、鶴見川沿いに点在する「杉山神社」と同様、
横浜では「謎」の神社とされ、
数多の郷土史家の研究材料となっています。
さて、サバ神社には「相模七サバ参り」と呼ぶ、
七つのサバ神社をめぐり、疫病除けとする信仰がありました。
『瀬谷の史跡めぐりガイドブック』には、
昔、川の流域の村々では、疫病が流行すると7か所のサバ社を参拝し、
厄除をする「七サバ参り」という風習があった。
一方『いずみ いまむかし ~泉区小史~』には、
この境川流域には、
はやり病に罹ると「七サバ参り」をすると治るという風習があった。
七サバとは、どこの神社であるか定かでない。
七は単なる吉数なのかもしれない。
また『郷土いずみ 第17号』には、
幕末より明治の代を中心に厄除けの主眼は病魔退散へと移り、
七鯖参りの風習まで生まれている。
「鯖」表記の七社を選び、参詣して無病息災を願うこの風習は
鯖の薬効から生じたものではなく、むしろその逆であろう。
小寺篤著『鶴見川・境川 流域文化考』には、
サバの神信仰がそのひとたち(サバの神祭祀集団の末裔)の
心の中に生きているのもやはり現実であって、
「七サバまいり」という悪病除けの信仰が行われていたのも先日のことである。
そして藁苞に赤飯を盛って、社前に供えられた風習を見うけたのもしばしばであった。
何はともあれ、治療法が確立していない「悪病」に、いつ罹るかわからないし、
無事な収束を願って、七サバ参りならぬ、十二サバ参りしてきました。
>>>つづく(見出し写真は【中和泉・中之宮左馬神社】の社殿の貼り紙)
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時間があれば、繰り返し観っ放し、ハイポジではないけれど、
30年前ではなく、40年以上前に青春していたころ、長髪だったなぁ・・・
懐かしい国立競技場が背景に映ってました。
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