散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

石柱に横浜魚河岸

2008年06月29日 | ☆神奈川県(ハマ以外)
極楽寺坂の成就院をあとにして、星の井のある岩舟地蔵を過ぎると、角に権五郎餅で有名な力餅屋がある。賞味期限改竄のさきがけとなった「赤福」に似て、餅に餡が乗せてあるやつといったら語弊があるかもしれないが、変わらぬ味を守っている。面掛行列の奇祭で名高い御霊神社の門前で商って三百年にもなろうという話だから、御霊神社の祭神「鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)」だけに「おかげさま」といってはばからない。ただし、行列のできる店になってしまい、この日も二十人ほどが道に沿って並んでいたが、客に「ここのゲンゴロウ餅は美味しいのよ」といわれてしまっては、いつか天罰が落ちるかもしれない。
神社の鳥居のすぐ前を江ノ電が通り過ぎる。必ず映像で紹介される風景がここだ。境内には市天然記念物のタブノキやイチョウの古木が立ち、湘南地方の開発領主だった景政を祀る神社の荘厳さが満ちている。
踏切を渡ると本殿が一段高い敷地に建っている。これは江ノ電を延伸するときに掘った極楽寺トンネルの土石が積み上げられたものだという。石段とそのまわりを囲んでいる石柱に目を奪われた。ほとんどのものに横浜の魚河岸、料亭(写真左上の八百政は相生町の有名店、今はビルに名がある)のほか遊郭などの名が刻まれているのである。鎌倉と横浜を繋ぐものは何だろう?
明治22年東海道本線の横浜・国府津間、横須賀線が開通、明治35年藤沢・江ノ島間に江ノ電が開業、明治43年には江ノ電が鎌倉まで延伸開通する。極楽寺トンネルの竣工は明治40年。江ノ電が横浜電気に合併されるのは明治44年。やっとここで横浜と結びつく。神社で参詣者の案内につとめていた方の話では「当時、この辺りは漁師町。貴族・高級官僚の別荘地として発展するものの、古くから海神の霊を鎮め、海難の犠牲者の霊を慰めるための例祭をしているからかな」という。神奈川県神社庁の由来によると、もともとこの神社は関東五平氏の祖神として「五霊神社」があり、それが御霊信仰(天災や疫病の発生を怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の怨霊のしわざと見なし、これを鎮めて神として祀ることで祟りを免れようとする信仰)と結びついて、平安末期にはすでに「御霊神社」があったとする。この神社の御利益?キーワードは「当たる」と「勝つ」。そこでポイントは、石段・石柱寄進の「大正3年9月吉日」の日付。大正天皇即位、大正政変の発生。そして大正3年の第一次世界大戦勃発に際し、日英同盟として参戦。大正7・8年にはスペイン風邪が大流行する。当時の世界人口8~12億人のうち、約6億人が感染し、死者は5千万人に及んだ。一説には、このために大戦の終結が早まったといわれ、日本は戦勝国となり、ロシア革命の起こったシベリアに出兵する。そこまでのシナリオは想定できなかったにしろ、建立の趣旨は何だったんだろう?

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