手元にある新明解や角川の国語辞典には「初詣(はつもうで)」を「→ 初参り(はつまいり)」とある。
「詣」は社寺に参拝の意で、「参」は行くの謙譲語からきている。
若かりし頃は、大晦日から終夜の鎌倉も厭わなかったのが嘘のようで、とにかく近場の氏神様に行くことが多くなった。
瀬谷区宮沢という地名である以上、宮は神社をあらわす訳だから、この宮沢神明社のことだろう。
神明社だから「お伊勢さん」で、祭神は「天照大御神」。
新編相模国風土記稿には、徳川家康江戸入国の際、石川重政に上矢部村を与えたが、石高不足で宮沢村をオマケにつけた。そこで、上矢部村民の一部を移居し、開墾させた。民戸30。村の鎮守・神明宮は宮沢山東福寺持ちとある。
東福寺は、今はなく、どこにあったのか文献にあたらなければわからないが、瀬谷村(橋戸)に西福寺があるので対のものかもしれない。
宮沢囃子という囃子連があって、正月は獅子舞、祭礼ではひょっとこ踊りを披露していたが、後継者不足でいつの間にか無くなってしまった。伝統芸能を残す手立てはないものなのだろうか?
年が改まると、このときばかりは干支を意識する。
今年は「巳」年。
それに因み、2色ヘビの菓子パン(見出し写真)をつくって店頭に並べてあるのを見つけた。
色づかいのせいか、オタマジャクシか、ウナギにも見える。
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