散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

施餓鬼(せがき)

2011年08月21日 | ☆神奈川県(ハマ以外)

このガキ!と、子どもに叫ぶ親がいる。
訳もわからず、ただムシャクシャする気持ちを子どもにぶつけているのだろうが、その子を産んだのは当人にほかならない。
「子は親の鏡」という。
ガキ!という以上、よっぽど「餓鬼(がき)」に違いなく、それは親も同様ということで、親も餓鬼なのだ。
餓鬼は、読んで字の如く、餓えた鬼ということになろうが、仏教用語で、生前の罪により、六道の一つ・餓鬼道の世界に落ち、絶えず飢えと渇きに苦しめられる亡者のことをいう。
仏教では、魂(霊)は生き続け、肉体が滅びるたびに審判を受けて、六道(天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)の世界に生まれ変わるとされる。
欲が深く、人に施さず、自分勝手に生きた者が、死んでから行く世界が、餓鬼界で、まさしく子どもの振るまいが同じであるため「ガキ」と呼ぶ。
幼くして子どもが亡くなると、地蔵に祈りをささげるのも、ガキのうちに死ぬのだから、餓鬼界か地獄界に落ちるものとして、その世界に現れて救いの手をさしのべるといわれる地蔵に救いを願うという訳だ。

さて、施餓鬼供養というものがあって、横須賀へ帰った。
お盆に帰省する習慣は、仏教からきている。
この習慣を当然のこととして受け入れている以上、日本は仏教国家ともいえそうだ。
8月15日を終戦の日としたのも、偶然の産物というには、国会の開会日や選挙の実施日を大安吉日にしたがる現状を思うといかがなものか?
施餓鬼供養は、もっぱら寺の行事で、檀家総出で行われる。
お盆は、当年に死んだ人はもちろん、先祖代々の霊や彷徨っている霊、地獄や餓鬼など六道界からの諸霊をはじめ万物の霊が現世に戻ってくるので、諸仏とともに分け隔てなく供物を与え、施そうというものだ。
お盆に、川や池や海へ遊びに行ってはいけない!といわれたのも、供養を求めて戻ってきた諸霊が、自分勝手に遊び呆けている人を懲らしめようとするからという、言い伝えをもとにしている。
また、お盆を節目に、秋の気候となり、海にはクラゲ(海月)が押し寄せるのも自然の不可思議なサイクルともいえようが、親の小言に耳も貸さず、海水浴に行って、電気クラゲといおうか、毒クラゲに刺されようものなら、バチ当たりとののしられた。

寺の天蓋は、金ピカだ。
マルコポーロの東方見聞録に、金の国として、日本が紹介されたことが大航海時代の動機になったといわれているが、稲穂の稔る様子を黄金に例えたことと、庶民がその稲藁で屋根を葺く家に住んでいたこと、そして寺院には金色に輝く仏具が溢れていたことが、思い違いをさせたらしい。

法事を終えたのが、午後3時をまわり、昼餉をとっていなかったので、鰻でもとおもったら、寿司がいいという。
しかし、どこもやっていないので、やむをえず平成町までいって、くら寿司となった。

5枚皿を入れると、ルーレットがはじまる。
まさかとは思ったけど、当たった。

むてん丸ご当地ストラップで、千葉の落花生むてん丸だという。
他に、鳥取・稲葉の白兎、滋賀・甲賀忍者、岐阜・さるぼぼ、富山・ホタルイカ、熊本・辛子蓮根、愛媛・みかん、山梨・武田信玄、神奈川・中華街肉まん、そして超レアゴールドの奈良・大仏むてん丸がある。
むてん丸は、無添くら寿司の「無添加」からきている。
駐車場を海側に出て行くと、海が広がる。
先に見えるのは、猿島(下写真をクリックすると大きくなります)だ。


帰りがけ、スーパーマーケットに立ち寄ると、ちょうしたのサンマのかばやき缶詰を見つけた。
東日本大震災で、原材料のサンマが流されたらしくて、とんと見かけなかったから、つい嬉しくなった。
サンマのかばやき缶詰といえば“ちょうした”がNo.1だ。美味いんだな、これが。


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