散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

60代のことばたち「理系のための中国古典名言集」

2022年02月07日 | ★集メタ坊屋敷ごみ

藤嶋 昭 著/朝日学生新聞社・68ページ目
古(いにしえ)の学者は己(おのれ)の為にし、今の学者は人の為にす
古之学者為己、今之学者為人「論語」
勉強は自分を内面から高めるためにするものだ
孔子の時代でもその時の知識人は他人に認められたいがために勉強していたようだ。いつの時代も同じである。
私自身、何のために研究するのかを自問自答することがあります。研究の最終目的は人の幸福に寄与し、どの人も望んでいる「天寿を全うしたい」に貢献することだと私は思っています。
*****
本のまえがき「はじめに」には、
かつて日本の先人たちは、中国古典に学び、それらの名言を心に刻むことによって、人間を理解し、人生を生きる指針としてきたわけです。
社会は激しく変化していても、その底には、変化しない部分が厳として存在していることがわかります。人間のもつ本質的な性格や行動を示す人間学は、変化しない部分の代表的なものと言えます。
と記述されています。
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「故きを温ねて新しきを知る」とか「朋あり遠方より来たるまた楽しからずや」とか、中学だったか、高校だったか、とにかく意味が、チンブンカン文だった訳で、ヤンチャしたい年頃に「男女七歳にして席を同じゅうせず」という音読のとき、「じゅう」を「にい」に変えて悪ガキどもが声を上げて、はしゃいでいたことを思い出します。
遺伝子組み換えや臓器移植など、稀な病気の治療のために高度な科学技術の応用に時代が突入しているからこそ、名言が心に響いてくるんですかねぇ。
大谷翔平さんではないけれど、良い時期に良い指導者に恵まれ、本人もまた目標に向かってストイックであることが必要なんだなとつくづく感じます。
だからといって、メタ坊自身を含め、なかなかできるもんじゃあありません。
「プレバト」というテレビ番組で、才能あり、凡人、才能なし、と格付けしていますが、自分のまわりでも才能があるのに世に出られない人を何人もみかけました。
そして、おおかたの人が夢破れて壊れてしまうか、凡人の仲間入りをして余生を送ります。
ある意味、才能なし以上凡人どまりなら、ストレスを感じないで人生を幸せに全うできて、気楽なものです。

>>>「100ページ目のことばたち」由来


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